子供の頃から馬車馬のように働き、何十年も働いているのに常に好感度は抜群!
結婚後は旦那の不正が発覚するなど…ピンチに追い込まれることもある上戸彩さん。
ほとんど公開されない夫婦仲や子供はいったいどうなっているのでしょうか?
上戸彩の子供は何人いるの?→結婚した旦那・HIROとの間に娘が1人誕生していた!
夫はEXILEのHIROで1児の母。
上戸彩さんと言えば…結婚したい女性&付き合いたい女優…など、常に男性からモテる女優としてトップを走り続けてきました。
美人なのに性格も良く、彼女のことが嫌いな人はほとんどいないのではないか?と思われるほど好感度は抜群。
そんな上戸彩さんが選んだ旦那様はオラオラ系の代表格、EXILEのHIROさんだったので驚きました!
現在上戸彩さんはEXILEのHIROさんとの間に子供が一人いらっしゃいます。
子供の誕生日や年齢について!
上戸彩さんは2015年8月15日に女の子を出産していますので、現在は幼稚園に通っている年齢でしょうか。
子供の名前は公表されていないのですが、一部情報によると、しゅうかではないかと言われています。
夫婦2人ともに有名人すぎて、子供についてはほとんど情報が公開されていない上戸彩夫妻ですが、子供の誕生日は2015年8月15日だと分かっています。
現在は4歳。
名前はしゅうかちゃんではないかと言われています。
子供の名前は「しゅうか」と言われてるけど本当なの?顔写真も見てみたい!【画像】
名前がひらがなである可能性は低いですので、何らかの漢字なのですが、しゅうかという名前を調べてみると、HIROさんに近い人物として、2017年末に芸能界引退を発表した藤井萩花さんがいます。
藤井萩花さんは、HIROさんが会長を務めている株式会社LDH(現在は株式会社LDH JAPANに社名変更)に所属し、Flower、E-girls、ShuuKaRenでダンサーとして活躍していました。
藤井萩花さんの字を取っているかどうかは定かではありませんが、HIROさんとしては、藤井萩花さんのように伸びやかでしなやかな身のこなしができるダンサーに育ってほしいという思いがあったのかもしれません。
萩花という名前は身近なところで言うとFlower・e-girlsなどでダンサーとして活躍していた藤井萩花さんの名前が挙げられます。
ダンスする姿がとても美しかったことから彼女の名前をもらったのではないかという噂があります。
【障害説】子供がダウン症という噂は本当?
芸能人の子供といえば必ずと言って良いほど出てくるのが、ダウン症だという情報です。
何を根拠にこういう情報が出てくるのかはケースバイケースですが、上戸彩さんの子供は本当にダウン症なのでしょうか?
上戸彩さんの出産予定日は11月と言われていました。
しかし実際、生まれたのは8月です。
3ヵ月もはやく生まれて未熟児だったようです。
ダウン症になる子供は、健康な子供に比べて早産や流産になる確率がとても高いので、そのような噂が流れたのかもしれませんね。
上戸彩さんが妊娠したのが、hiroさんが45歳の時だった事も関係あるようで、父親の年齢が上になるにつれて遺伝子変異の数字も大きくなるのでダウン症だとネット上で噂されたのかもしれません。
出産した当時、フジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』で司会の小倉智昭さんが、出産するまでに15時間かかったことや、早産ではありながら、医師に告げられていた予定日よりも3日遅かったと明かしたことも重なり、ダウン症だという噂が広まった可能性もあります。
いずれにしても、未熟児であったということと、父親の年齢が高かったという2つの理由から、上戸彩さんの子供がダウン症なのではないか?との噂が出回ったわけですが、この2つの理由からだけではダウン症であると断定することはできません。
上の画像はなんだか不自然なほど完璧に写っている、上戸彩さんと旦那のHIROさん、そしてお子さんの画像です。
どうやらこの画像は、当時不正を働いた旦那様の尻拭いのために、計画して週刊誌に撮らせたものなのではないかと言われているんだそうです。
そこまでしなければ家族写真が流出してこない上戸彩さんファミリー。
実際夫婦仲は現在も良いのか…それとも旦那が不正を働いたことで離婚危機に陥っているのか…。
真実が明かされることは当分先になりそうです。
お子さんの顔は常に隠されているので、ダウン症かどうかということははっきりしませんが…旦那様のHIROさんが抱っこしている姿などをが流出していることから…。
ダウン症という噂はデマなのではないかと思われます。
子供の幼稚園はどこなの?候補をピックアップしてみた!
子供の頃に両親が離婚した上戸彩さんは、自分の子供に対してはしっかりと子育てをし、十分な教育を施したいと考えていることから、幼稚園はただ単に生活一般を教えるような一般幼稚園ではなく、生活一般はもちろんのこと、数々の習い事や学習までがカリキュラムに組み込まれた名門幼稚園であると考えられます。
東京都内にある名門幼稚園といえば、東京御三家と呼ばれる幼稚園が挙げられます。
現在子供は4歳ということで、幼稚園に通っているのではないかと思われる上戸彩さんの娘さん。
両親共に億単位で収入があると思われる上戸彩さん夫妻。
幼稚園選びは金額ではなくセキュリティが万全なところを選択されるのではないかと思われます。
現在噂されている幼稚園を三つピックアップしてみました。
幼稚園候補①若葉会幼稚園
若葉会幼稚園は旧財閥の三井家が創立しました。
財界関係の入園者が多いそうです。
個性を尊重しつつ、共同生活にも慣れどんな環境に置いても自立した人を育てるという教育理念の元運営されています。
芸能界で自立して今の地位を築き上げた上戸彩さんですので、自立した人を育てるという教育理念には共感できる部分も多いのではないでしょうか。
ちなみに、若葉会幼稚園があるのは港区ということで、まさにセレブ幼稚園ですよね。
まず第一候補にあがっているのが旧財閥の三井家が創立した若葉会幼稚園です。
ここは財界関係の入園者が多いと有名で、たとえ芸能人であっても入園したくても断られてしまうことがある程、受験が厳しいセレブ幼稚園です。
幼稚園候補②愛育幼稚園
愛育幼稚園は恩賜財団が運営しています。
恩賜財団、何やらとても縁起のよい漢字が組合わさっていますが実はここは天皇制の元で作られた財団とのことです。
なごやかな雰囲気の中でのびのびと活動させることで社会性を身につけることを教育目標とした幼稚園です。
先ほどの若葉会幼稚園は、どちらかと言えば厳しく育てるというイメージの幼稚園ですが、愛育幼稚園は、名前にもある通り、どちらかと言えば優しくゆったり育てるというイメージの幼稚園です。
ちなみに、愛育幼稚園も港区にあるのですが、高級住宅街の一角に位置していて、セキュリティもしっかしとしているようです。
続いて候補に上がっているのが愛育幼稚園です。
ここは天皇制のもとで作られた財団が運営する幼稚園。
先ほどの若葉会幼稚園はどちらかといえば厳しいイメージがあるのですが、愛育幼稚園はどちらかと言うと優しくゆっくり育てるイメージがあるそうです。
港区にありセキュリティもかなりしっかりしているそうなので、私はこの幼稚園の可能性が高いのではないかと思っています。
幼稚園候補③枝光会幼稚園
枝光会幼稚園には4つの幼稚園があります。
枝光会幼稚園は家族運営で創業者4兄弟がそれぞれ4つの幼稚園を運営しています。
(麻布みこころ、枝光会付属、枝光学園、枝光会駒場)枝光会幼稚園はカトリック系の幼稚園です。
あたたかい雰囲気と良い環境を与えながらも時代に合った教育を行うことを理念としています。
教育理念は、若葉会幼稚園と愛育幼稚園の間といったイメージでしょうか。
厳し過ぎず優し過ぎずといった教育方針を支持する親御さんは非常に多いです。
上戸彩さんの子供が上記のどの幼稚園に通っているかはわかりませんが、セレブ幼稚園であることに間違いはないと思われます。
続いて候補に上がっているのが枝光会幼稚園です。
枝光会幼稚園は四つの幼稚園で構成されており、それぞれ家族経営で成り立っているカトリック系の幼稚園です。
厳しすぎず優しすぎずちょうど良い教育方針というところを支持する親御さんが非常に多いと言われています。
上戸彩の子供の子育て方針が気になる!「バレエ」や「ピアノ」を習わせる予定みたい♪
上戸彩さんの長女が通う幼稚園はどこなのかを調べてみたいと思います。
上戸彩さんは、長女を出産する前から、子供には習い事をさせたいと言っており、出産後にはリトミックに通わせたいとも語っていました。
上戸彩さんご自身も、子どもの頃は習い事三昧だったと言います。
月曜はKUMON、水曜と木曜にバレエを習い、そして金曜のピアノに土曜のプール、そして日曜がリトミックだったそうです。
この中でリトミックのレッスンが一番ためになったとの事、またリトミックは絶対音感を鍛え、リズム感やバランス力もアップするレッスンで、幼児にはメリットの大きいレッスンだと言っていました。
火曜日以外はすべて習い事に通っていたんですね。
子供の頃は遊び回っていた私からすれば、頭が下がる思いです。
子供の習い事には興味津々な上戸彩さん。
月曜日は公文、水曜日と木曜日がバレー、金曜日はピアノ、土曜日はプール…そして日曜日はリトミックという習い事のハードスケジュールを組んでいるそうです。
リトミックという言葉聞いたことがない方もいるかもしれませんが一体どんなものなのかと言うと…。
19世紀末から20世紀初頭にかけてスイスの音楽教育家であったエミール・ジャック・ダルクローズが開発した音楽教育の手法なんだそうです。
当時はあの有名なハンブルク一族もこの方法で学んでいたことがあるのだとか。
闇雲に楽器を覚えさせるのではなく、音を聞きそれを感じ理解しながら楽器に触ってみたり。
楽器の音を出してみることで喜びを感じたり、音感を育んで行く教育法なんだそうです。
なんだかとっても子供に良さそうな習い事ですね。
上戸彩の子供時代(子供の頃)はどんな子供だったの?若い頃の画像もチェック!
1997年、小学6年の時に「第7回全日本国民的美少女コンテスト」で審査員特別賞を受賞。
1999年、4人組グループZ-1としてデビュー。
2000年、ドラマ『涙をふいて』で女優デビュー。
2001年、ドラマ『3年B組金八先生』第6シリーズで性同一性障害を持つ生徒役を演じ注目を集めた。
2002年、ソロで歌手活動を開始。
同年、高校2年の時に多忙で学校に通えず単位が足りなくなり堀越高等学校を中退した。
- 19歳の時に母親へのプレゼントとしてマンションを購入した。
- 20歳の時に幼少期からの保育士の夢を諦め芸能活動に進路を定めた。これを機にチャイルドケアライセンスを取得した。
- 27歳の誕生日である2012年9月14日、EXILEのHIROと結婚。HIROの知人がZ-1のダンス指導を担当していたことをきっかけに知り合う。2年の交際期間を経て結婚に至った。
- 2015年4月12日、第1子妊娠を発表。妊娠期間、出産予定時期は非公表であった。同年4月期放送のドラマ『アイムホーム』の撮影終了後産休に入り、同年8月、第1子となる女児を出産。
- 出産日は非公表であった。その後CM撮影にて仕事を再開、同年12月6日生放送の若手漫才日本一決定戦『M-1グランプリ2015』の司会が出産後初の公の場となった。
デビューしてからずっと働き続けている上戸彩さん。
子供の頃はどんな少女だったのかと調べてみるとやはり小学6年生の頃から働きづめだったということがわかりました。
幼い頃に両親が離婚し、3人の兄弟を育てていたシングルマザーの母には19歳の時にマンションを購入してあげたんだそうです。
元々保育士の夢を持っていた上戸彩さん、その夢を諦めて家族のために芸能活動を選択されたそうです。
現在の旦那様ひろさんとの出会いは、上戸彩さんが小学生時代に組んでいたユニットZ-1のダンス指導をしていた方と旦那様が共通の友人だったことがきっかけだったそうです。
テレビで見かける上戸彩さんはめちゃくちゃ性格が良さそうなので…とにかく幸せになって欲しいと思っていた上戸彩さん。
旦那様の不正が発覚した時は思わず耳を疑うほど唖然としてしまいました。
子供時代に両親が離婚していた?
上戸彩さんの生い立ちなのですが、お父さんは北海道出身、お母さんは沖縄県石垣市出身の両親の元に誕生したのですが、ご両親は上戸彩がデビュー後間もなく離婚することになりご家族は、お母さんとご兄弟の四人家族で暮らすことになるのです。
親が離婚した後も上戸彩さんは、多忙であっても時間を作ってお父さんとは、定期的に会っているそうなんです。
上戸さんは3人兄妹の末っ子で16歳年上の長男と2歳年上の次男がいる。
上戸彩さんが幼稚園の頃に16歳年の離れた上の兄に子供が誕生していて幼くして叔母になるというエピソードも有るようです。
その頃の上戸さんの収入は、まだ駆け出しということもあって月給15万円を貰っていたのですが、何故かその収入は全て上戸家の家族全員の家計のやりくりに使われていたと言うことは世間には余り知られていない事だそうです。
その当時の上戸さんを知っている関係者によりますと、その時の上戸家の状況は上戸さんの収入が全てで全員がギリギリ暮らしていくだけで精一杯だったそうで一般の芸能人のようにきらびやかな生活とは全然ほど遠い生活状況だったようです。
なので仕事などで使う衣装も友人から譲り受けたものを着ていたというエピソードも有るようなんです。
この頃の上戸さんは、若くして上戸家の大黒柱であり自身一番苦しかったのでは無いでしょうか。
上戸さんが通っていた高校は、世間で良く知られている芸能人が沢山通っている某有名校のお決まりの芸能コースに進学したのですが、ハッキリした理由は分からないのですが、この高校を中途退学したことは有名な話だそうです。
数多くの、芸能人を見てきていると言う芸能関係者の方は、上戸さんに限らず芸能人として活躍している者の中には複雑な家庭環境に育っている人がわりに多いと言う事だそうです。
私達が、テレビ等で見ていて華やかそうに見えているスターでも心のなかは、暗い苦労した過去を持っているのかも知れませんね。
上戸彩さんのご両親は彼女が幼い時に離婚しています。
その後はお母さんと暮らしていた上戸彩さんですが忙しい合間を縫ってお父さんにも会いに行っていたそうです。
徹底した体型維持で数いる芸能人の中でも細い体型を維持している上戸彩さん。
最初は元々細いのかと思われましたが、もしかしたら幼い頃からずっと相当な努力を続けているのかもしれません。