今回は俳優の工藤堅太郎(くどう けんたろう)についてみていきましょう。
目次
俳優・工藤堅太郎について
工藤堅太郎さんといえば、 大映映画やテレビ時代劇でも活躍していた俳優さんですね。
昭和のドラマ「 夕日と拳銃」で主演に抜擢され注目を集め、子ども向けドラマ「ケンちゃんシリーズ」での雷先生や、「遠山の金さん」「大岡越前」「大江戸捜査網」「江戸を斬る」シリーズなど、多くの時代劇に出演しました。
神奈川県横浜市出身の工藤堅太郎さんは、横浜平沼高校を卒業後、 劇団俳優座養成所に入所します。
大映と契約後の1964年には初期テレビドラマの名作、檀一雄原作 『夕日と拳銃』(TBS)に主人公・伊達麟之介役で出演、人気俳優となった。
以後、石坂洋次郎原作の『風と樹と空と』『青い山脈』など青春ドラマ、ホームドラマにレギュラー出演。
一方、刑事ドラマでは吹き替えを使わずにスタントは全部自身で演じた。
三隅研次に見込まれ、 大映映画やテレビの時代劇でも活躍。
特にNET『日本任侠伝・灰神楽三太郎』に出演以来、軽いとぼけた調子の三枚目に役柄の幅を広げ、森の石松や桶屋の鬼吉役などを得意とした。
人気を武器に1978年には 商業演劇にも進出し、大阪新歌舞伎座などの大劇場に毎年出演しました。
俳優・工藤堅太郎は病気だったの?
人気絶頂だった1981年、工藤堅太郎さんは大阪・名古屋での公演終了後に、東名高速道路を走行中に クモ膜下出血を発症します。
東京女子医科大学での5時間に及ぶ手術の結果、 半年間の療養後に現場復帰を果たす。
常時2 – 3本の連続ドラマを抱える売れっ子俳優であったが、この 脳外科手術後は激減し、単発ドラマでのゲスト出演が多くなった。
以後、時代劇・現代劇を問わず、悪役から三枚目まで幅広くこなす俳優として活躍している。
一命を取り留めた工藤堅太郎さんですが、この 病気のあとは仕事が激減してしまったようです。
最近では俳優業の傍ら、大阪にある 俳優学校・東映京都俳優養成所の演技講師として後進の育成に力をそそいでいるようです。
2014年秋に回想記『役者ひとすじ 我が人生&交遊録』(風詠社)を上梓した。
50年に及ぶ役者生活で、多くのスター俳優たちとの幅広い交流や業界の裏話やイニシャルトークも絡めて興味深く、確かな文章力は読みやすい。
2016年6月に『続・役者ひとすじ』(風詠社)を出版、副題に「無法松の一生 三十七年ぶり再演のすべて」。
2015年、思い出の「初舞台作品」が再演。
37年前と同じ役、車夫熊吉を演じ、半年間の全国巡演で思わぬ怪我・骨折などハプニングが続く中、あの町この町を愉快に旅した半年間を綴った。
現在77歳と高齢の工藤堅太郎さんですが、 まだまだ現役の俳優として精力的に活動しています。
俳優・工藤堅太郎の子供は息子と娘がいるの?【画像】
工藤堅太郎さんの気になる 家族構成ですが、 お子さんがいるかは分かりませんでした。
娘・息子がいるとの情報もありましたが確証はなく、年齢的には孫がいてもいいくらいですよね。
しかし、 家族については全くといっていいほど情報がありませんでした。
工藤堅太郎の結婚した嫁は嘉手納清美
工藤堅太郎さんがかつて結婚していたのが、 女優の嘉手納清美(かてな きよみ)さんです。
結婚していたのはかなり昔のようで、いつ結婚したのか、馴れ初めなどは不明でした。
離婚したのが1984年ということなので、結婚生活はそこまで長くなかったのではないでしょうか。
1983年4月3日(日)放送のビートたけしの家庭でできる家族対抗いじわるゲーム大会 の情報に「 工藤堅太郎/嘉手納清美 夫妻」と書かれているのがありましたので、1983年当時は夫婦だったようです。
現在再婚されているかはわかりません。
嘉手納清美さんは1960年代に放送されていた『ホイホイミュージックスクール』というオーディション番組に参加し、 歌手デビューしています。
嘉手納清美さんは本名は 前田清美さんで、最初は歌手だったそうです。
『沖縄恋歌』『星空の那須空港』 / 『うるま育ち』という曲を1963年に発売しています。
1963年にNHKドラマ『金の砂』で 女優デビューした後は、『バンパイヤ』『おひかえあそばせ』などテレビドラマに出演し、数々の大映映画にも出演するようになります。
1960年代後半から1970年代にかけて 映画やドラマなどで活躍していた。
『 ウルトラセブン』や『ミラーマン』など、円谷プロダクション製作の番組にも出演し、『ウルトラセブン』第46話にゲスト出演した際には水着姿を披露した。
1971年のテレビアニメ『さすらいの太陽』では声優も務めているが、短期間でスケジュールの都合から出演が不可能になったため、平井道子と交代している。
1982年ごろから女優業は引退し、実家の 沖縄料理店で新宿歌舞伎町にて 67年も営業していた「南風(なんぷう)」を手伝っていたようです。
店主の前田清美さん(68)は「体力的にきつくなって、継ぐ人もいない。引き際だと思う」と話す。
清美さんは嘉手納清美として歌手や女優として活躍した後、 82年に店主となった。
バブルのころは地上げ屋の標的にもなったが店を守り続け、浮き沈みの激しい歌舞伎町の中で、老舗の一つだ。
現在71歳になる嘉手納清美さんですが、この 沖縄料理店を辞めてからは何をしているかは不明です。
俳優・工藤堅太郎はウルトラQに出演していた?
工藤堅太郎さんは、1966年に放送された ウルトラQ第26話「燃えろ栄光」にて、人気ボクサー「ダイナマイト・ジョー」役で出演しています。
人気ボクサー「ダイナマイト・ジョー」(工藤堅太郎)が世界選手権前に失踪した。
万城目たち3人は、偶然、ホテルのディナーショーでピエロを演じているジョーを発見する。
実は、ジョーは大切にして可愛がっているペット(深海怪獣・ピーター)の予言を信じてボクサー活動をしていたのだ。
ウルトラQは、1966年1月2日から同年7月3日にかけ放送されていた特撮番組で、のちの ウルトラマンシリーズの初代というわけです。
元嫁の 嘉手納清美さんも出演していましたし、 2人の結婚はこのウルトラQやミラーマンといった円谷プロ作品での 共演がきっかけだったのかもしれませんね。