ピアノ教育家・ ピアニストとして活動してきた、井口愛子さんについてご紹介しています。
それでは、ご覧下さい。
目次
ピアノの井口愛子には子供はいる?
お子さんがいますが、まずはじめに井口愛子とはどんな方なのかリサーチしてみましょう。
11歳でピアノを始め、宇佐美ため、レオニード・コハンスキに師事。
1926年、文化学院卒業。同年、東京音楽学校(現東京芸術大学)専科修了。
宇佐美たえ、レオニード・コハンスキに師事。
1930年、デビュー。以来演奏活動も行ったが、その後教育に専念。
東京音楽学校、桐朋学園大学などで教鞭をとる。
1948年から、同年兄の基成、伊藤武雄、齋藤秀雄、吉田秀和らが開設した「子供のための音楽教室」で講師を務める。
一期生には小澤征爾(指揮者)、中村紘子(ピアニスト)、堤剛(チェリスト、現桐朋学園大学学長)らがいた。
子供のための音楽教室」は、後の桐朋学園音楽部門の母体となった。
1974年、東京音楽大学教授に就任。
1984年12月1日、東京で死去。
74歳没。
現在は、すでに亡くなられている方だそうです。
そして、息子さんがいますね。
佐藤方紀はフルート奏者。
株式会社ハーモニー代表取締役社長兼音楽プロデューサー(元東芝EMI制作部長)。
お母さんと同じく、音楽家として活動しているそうですよ。
井口愛子の娘は関根有子?
娘さんがいるのかリサーチしてみましょう。
一般人のブログ↓に記載がありましたよ!
東京音大時代のピアノの恩師、関根有子先生に会いに行ったことです。
5年ぶり?
関根先生は、音大生なら知っている日本のピアノ教育の第一人者、井口愛子さんの娘さんです。
どうやら、音楽を習っていた生徒のブログで、先生に久しぶりに会いに行っていたそうです。
ちなみに関根有子さんって、どんな先生なのでしょうか?
先生は大御所、超多忙なのでと〜っても早口。
だけどいつでも愛情いっぱいで会えてとってもうれしかった。
先生っていくつになってもいいものだなあと思う。
いつも味方で間違っていると指摘してくれる、遠慮なく。
ほんとうに心から先生と呼べる人にめぐり会えたことは、奇跡的で私の自慢。
こころをあたためてくれますネ!
素晴らしい音楽の先生ですね。
井口愛子の門下生について
どういった門下生がいるのでしょうね。
宮沢明子さんと中村紘子さんは共に故・井口愛子さんの門下生で、その頃からライバル意識があったのでしょうか、今もお互いに相容れない関係にあるように聞いています。
音楽家の世界って、競争が激しそうですね。
そもそも、 宮沢明子さんってどんな方なのでしょうか?
小学生時代より井口愛子に師事。
1955年(中学3年)全日本学生音楽コンクール中学校の部第1位および文部大臣賞受賞。
桐朋学園大学・エール大学・ジュリアード音楽院にて学ぶ。
1963年ジュネーヴ国際音楽コンクールで1位なしの2位受賞。
1964年ヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門金賞第1席受賞。
1978年10月から半年間、NHK教育テレビの番組「ピアノのおけいこ」に指導者として出演し、当時人気を呼んだ。
立派なご経歴の方ですね。
1990年代にはコルグ製デジタルピアノを愛奏し、これを用いての演奏会・CD録音も行った。
エッセイ集を多数残しており、その内容は例えば、くらもちふさこの漫画『いつもポケットにショパン』などにも、影響を与えている。
ちなみに、 今はベルギーに住んでいるそうですよ。
井口愛子の門下生はピアニストの中村紘子?
もう一人の 門下生、中村紘子さんについても見てみましょう!
旧姓名:野村紘子。
本名:福田紘子。
1965年のショパン国際ピアノコンクールで、日本人として、田中希代子の1955年初入賞以来、10年ぶり2人目の入賞者として広く知られている。
夫は小説家の庄司薫。
国内外3800回を越える演奏会を行いながら、後年はコンクールの審査員や著述業に進出した。
超メジャーなピアニストですよ。
井口愛子さんは、素晴らしい作家を生み出した方なのですね。
中村紘子「井口愛子のレッスンは地獄だった」
どういったレッスンだったのでしょうか?
あの頃、怖い事では日本一いや世界一と言われた井口愛子先生のレッスンを週1回受けていましてネ。
もう毎日が地獄でしたヨ。
毎日5~6時間家で練習でしょ。
(レッスンが水曜か木曜)金曜土曜は幸せ、青空なの…
日曜ぐらいから曇りはじめて、月曜は雨雲、火曜日はどしゃぶり、火曜の夜から発熱、レッスンの日はだいたい熱だしてました。
(井口先生の雷鳴が轟く)こちらが30 過ぎても時々夢を見るんですヨ!(笑)
ただ、 厳しいレッスンを受けたおかげで、プロとして様々な事柄が身についたのでしょう。
中村紘子は2016年に死去
何歳で、どういった原因で他界されているのでしょうか?
2016年7月26日、大腸がんのため永眠。
72歳没。
どのような晩年だったのでしょうね。
2014年、腸閉塞の腹腔鏡手術を受けた際に、大腸がんが見つかる。
治療を続け、2015年3月に復帰した。
2015年8月、大腸がん治療に専念するため、再び演奏活動を休止。
当初は11月以降の復帰を目指していたが、2016年3月まで活動休止が延長された。
2016年4月30日ミューザ川崎シンフォニーホールおよび同年5月4日オリンパスホール八王子で開催されたコンサートで復帰した。
この最後のライブ録音はCD「中村紘子 フォーエバー」となって発売された。
72歳の誕生日を、夫と自宅で祝った翌日に他界されたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。