大橋純子に子供はいない!旦那・佐藤健との馴れ初め~事実婚に至るまで | 芸能人の子供まとめ

大橋純子に子供はいない!旦那・佐藤健との馴れ初め~事実婚に至るまで

今回は歌手の大橋純子(おおはし じゅんこ)さんについてみていきましょう。

大橋純子に子供はいる?

アルバム『フィーリングナウ』でソロデビューし、『ペイパームーン』でその名を有名にした大橋純子さん。

1977年には『大橋純子&美乃家セントラル・ステイション』名義でバンド活動をスタートしました。

「たそがれマイ・ラブ」がTBS系ドラマ『獅子のごとく』の主題歌に採用され、大橋純子さん最大のヒット曲となります。

現在67歳と高齢ですが、現役バリバリの歌手でライブなどの活動を精力的にこなしています。

そんな大橋純子さん、私生活では結婚しているようですが、お子さんはいらっしゃるのでしょうか?

調べてみましたが、お子さんはいない可能性が高いみたいですね。

おそらく事実婚状態にあったことから、子供は授からなかったのではないかと考えられます。

結婚当時、大橋さんは29歳で、妊娠してもおかしくない年齢でしたが、お互いに仕事が充実していた時期だったのかもしれません。

 

大橋純子が結婚(事実婚)した夫は作曲家の佐藤健!

大橋純子さんは1979年に作曲家・キーボード奏者の佐藤健さんと事実婚をしていますが、婚姻関係にはなっていないようです。

大橋純子さんは、1979年に作曲家の佐藤健さんと結婚されました。当時、大橋さんは29歳で、夫となった佐藤健さんは作曲家として知られる人物です。

彼の年齢などの詳しいプロフィールは公開されていませんが、その作曲家としての功績は非常に評価されています。

佐藤健さんは、1970年代から1990年代半ばにかけて数多くの人気アイドルやアーティストに楽曲を提供し、音楽シーンで多大な影響を与えました。

彼が手がけた楽曲には、吉川晃司さんの『RAIN-DANCEがきこえる』や、Classの『夏の日の1993』、西城秀樹さんの『Living Like a Gypsy』、田原俊彦さんの『堕ちないでマドンナ』、そして中森明菜さんの『Fin』や『Farewell』などが挙げられます。

また、光GENJIの『君にCheer Up!』や『風の歌声に耳をすまして』、さらには『FLOWER OF MY HEART』や『And I love you』なども作曲しています。

佐藤健さんはもともと1973年に『僕は今ひとり』という楽曲を発表し、シンガーとしても活動していました。

その後、1976年に大橋純子さんのバックバンド「美乃家セントラル・ステイション」を結成し、彼女の音楽活動を支えることになります。

それ以降、大橋さんの代表曲『坂の上の家』や『クリスタル・シティー』、『スターライト・トレイン』、『サファリ・ナイト』、『ビューティフル・ミー』なども手がけ、さらに山口百恵さんや中森明菜さんなど、名だたるアーティストにも楽曲を提供していきました。

中でも、山口百恵さんの『陽のあたる坂道』や『恋のホットライン』、薬師丸ひろ子さんの『ささやきのステップ』など、多くのヒット曲を作曲しています。

彼の作曲は時代を超えて支持され続け、多くの人々に愛される名曲を生み出してきました。佐藤健さんの才能は、アーティストたちの魅力を引き出す力として、今も多くの人々に影響を与えています。

 

馴れ初め~事実婚に至るまでの経緯

大橋純子さんが作曲家の佐藤健さんと出会ったのは、彼女が北海道から上京した後、ヤマハ音楽振興会でのアルバイトがきっかけでした。

大橋さんは地元の短期大学を卒業後、1974年に上京し、ヤマハでのバイトを通じて音楽活動をスタートさせます。そこで、佐藤健さんと出会い、二人はすぐに同棲を始めたと言われています。

佐藤健さんは当時、ヤマハのライト・ミュージック制作室で勤務しており、同じ部署には萩田光雄さんや船山基紀さんといった今では名だたる作曲家・編曲家が在籍していたという、非常に優れた環境に身を置いていました。

そんな中、彼と大橋さんの関係が深まり、音楽活動だけでなく私生活でも支え合うようになります。

1976年からは、大橋純子さんのバンド「美乃家セントラル・ステイション」にて佐藤健さんがキーボードを担当し、公私ともに彼女を支え続けてきました。

佐藤さんは、大橋さんのデビュー前からその歌声をサポートしていた存在であり、二人の絆は強固なものだったことが伺えます。

その後、大橋さんのソロデビューが決まると、佐藤さんもバックバンドに参加。二人の関係は仕事だけでなく、プライベートでも親密さを増していき、素敵なパートナーシップを築きました。

興味深いことに、二人は正式に結婚していない可能性が高いと言われています。大橋さんが2年間の音楽留学を経て帰国した際、バンドブームの衰退とともに彼女の活動の場が減少。

そこで佐藤健さんに「入籍して主婦になりたい」と相談しましたが、彼からは「逃げの入籍は良くない」と諭されたとのことです。そのため、籍を入れることなく、事実婚の状態で生活を共にしてきたようです。

大橋純子さんのプロフィールには「パートナー佐藤健」と記載されておりました。

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