嶋田久作に子供はいる?痩せたという噂や愛猫との生活を覗いちゃおう!

今回は俳優の嶋田久作(しまだ きゅうさく)についてみていきましょう。

 

嶋田久作には子供はいないみたい。家族構成は「ヨメ一人、猫ひとり」!

嶋田久作さんは異色の経歴を持った俳優として有名です。

29歳で俳優となった遅咲きの俳優さんですが、劇団の中でも異質な存在として注目を集め、映画『帝都物語/ガラチア』でその実力を発揮します。

いまでも舞台や映画、ドラマなどさまざまな場所で活躍しています。

私生活では結婚していて奥さんがいらっしゃいます

嶋田さんは、1990年に結婚されているようです。

2012年10月が、22回目の結婚記念日であることを、ご自身のブログで明かされていました。

2人の間にはお子さんがいないことが、「猫可愛がり。だからダメなんだ~嶋田久作blog~」の中でも語られています。

嶋田久作の日々の出来事や仕事情報を綴る日記。

名前:嶋田久作
生年月日:1955年4月24日
出身地:神奈川県
血液型:O型
身長:180cm
体重:68kg
家族:ヨメ一人、猫ひとり

奥さんと愛猫と、仲良く3人で暮らしているようです。

 

嶋田久作が痩せた?病気を治すためだったとの噂が?

嶋田久作さんを調べていくと、最近になってさらに痩せたことから「病気なのでは?」といわれています。

結論からいうと病気ではなさそうですが、嶋田久作さんの風貌から、「巨人病では?」と言われることがあるそうです。

巨人病とは一般的には異常に体が大きい状態全般をさします。

成長の途中で成長ホルモンの過剰分泌が発生すると骨が異常に発達をして巨人病となってしまうようです。

顎が長い顔つきになることも多いようです。

嶋田久作さんはその見た目から、モアイ像と言われているようで、高身長で顔が長く、顎が長いといった特徴も、巨人病にあてはまります。

芸能人ではアントニオ猪木さんや、ジャイアント馬場さんなどが巨人病といわれています。

しかし、本人が公表したわけではないので単なる噂といえます。

 

嶋田久作と愛猫の日常が微笑ましい^^「長いと10分」頭上に居座る?

嶋田久作さんは無類の猫好きで、自身のブログには頻繁に愛猫の「ニーカ」が登場します。

妻の連れ子だった先代ネコのみあは、子どものないぼくら夫婦にとって、子ども同然。

一緒に暮らした18年は、忘れられない「3にん」での生活でした。

07年、21歳で看取ってから、「もうネコは飼わない」と一度は決めたんです。

自分たちの年齢で今後20年生きるネコを飼うのは、体力的に無理だろうと話し合ったんですね。

ところが妻がペットロスになって、気持ちの慰めになればと動物園やペットショップに行っているうち、ニーカと出会った

生き物を飼うと責任も伴いますし、必ず自分たちより早く亡くなってしまうのでためらいますよね。

しかし、意を決してニーカを迎えたら、新しい家族に毎日ウキウキしたといいます。

ぼくの濡れた髪が大好きで、風呂上がりは必ず待ち伏せしていて、頭の上に飛び乗ってくるんです。

「乗りたい」と意思表示をするので、肩をポンポンとたたいて招いてやる。

背中から飛び乗るときもありますが、小柄で軽いですから。

頭の上から得意げに妻を見下ろしたり、ぼくの髪に自分をこすりつけたり、毛づくろいしたり。

ぼくも下りろとは言わないですから、長いと10分くらい、気の済むまでいます。

嶋田久作さんは子どもの頃、スズメを世話して亡くなってしまったのが悲しくて、動物に苦手意識があったそうです。

しかし、猫を飼っていくうちに「どちらかというと人間より動物のほうが好き」という自分に気づいたそうです。

今では「ネコと妻を守っていく」ことが生きる目標だといいます。

 

嶋田久作の若い頃はバンドマンだった?演技力がすごい!

嶋田久作さんは、東洋大学文学部哲学科在学中、意外にもバンドを組んでいたそうです。

大学卒業後はコンピュータ会社のプログラマー、バンドのキーボード奏者、生協のレジ打ち、庭師などを経験します。

1984年に飴屋法水さんの誘いを受けて、劇団東京グランギニョルの旗揚げ公演に参加しました。

当時、嶋田久作さんは庭師をしていたので演技の経験はゼロでしたが、その独特な風貌に惹かれて誘われたのかもしれませんね。

この劇団「東京グランギニョル」は一風変わっている劇団で、その特徴に包帯、眼帯、血のり、学生服、学帽、目玉、両性具有者など、耽美的で、退廃的な雰囲気を、舞台で表現されていたようです。

そして、団員の資格は、美少年でなければならなかったのだとか!

ある意味、夢の世界で、はまったら抜けだせそうにありませんね。

当時、このお芝居を見に行った方の話では、観客はそれほど多くなかったそうですが、人気は抜群だったそうです。

しかし、たった4作品の発表をもって1986年に劇団は解散してしまいます。

嶋田久作さんはまた庭師に舞い戻り、生計を立てていました。

そんな時、映画「帝都物語」の主役「加藤保憲」抜擢され、映画デビューを果たします。

当時、加藤役の俳優探しが難航していたそうですが、いろいろな映画監督のつてで、嶋田さんの名前が上がり、オファーがあったようです。

これが映画初出演だった嶋田さんでしたが、この「帝都破壊を目論む謎の軍人」といったオカルトな役を不気味に演じられ、一躍有名になられました。

この出演がきっかけで、俳優の地位を確立していったのですね。

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