ギタリストのSUGIZO(すぎぞー)さんには一人娘がいます。
彼女の名前は杉原瑠奈と言いますが、どんな人なのでしょうか。
詳しく調べてみました。
目次
SUGIZOの子供は娘が1人いた!名前はルナ・アルテミス・スギハラ!
SUGIZOさんが1995年に結婚し、翌年1996年4月27日に第一子として女の子が誕生しました。この女の子が「瑠奈(るな)」で、後に「瑠奈アルテミス」として活動名を使い、彼女自身も一部のファンにとって注目の存在となっています。
本名は「杉原瑠奈」で、東京で生まれ育ちました。幼少期、彼女は和光幼稚園に通っていました。和光幼稚園は芸能界や著名人の子供たちが多く通うことでも有名で、自由な教育方針が特徴の一つです。
彼女もこの環境で幼児期を過ごしましたが、両親の離婚を機に、幼い頃にアメリカへ移住します。
渡米後、瑠奈さんはカリフォルニア州のパシフィックパリセーズという、裕福な人々が多く住む高級住宅地で暮らしていました。
パシフィックパリセーズは、ロサンゼルス郊外に位置し、海に近く、風光明媚で安全なエリアとして知られています。
中学校はアメリカでも有名なビバリーヒルズにある学校に通学。ビバリーヒルズはセレブが多く住む地域で、学校の同級生の中には著名人の子供も多かったことでしょう。
高校生活はロサンゼルスで過ごし、アメリカでの青春時代を送っていました。海外での豊かな経験が彼女の感性を磨き、多様な文化や価値観を吸収する機会となったと考えられます。
これらの環境が、彼女が後に選んだ活動やキャリアに影響を与えているのかもしれません。
瑠奈さんは、日本でも一時期芸能活動をしていたことがあり、2007年頃からスターダストプロモーションに所属していたという噂があります。
この芸能事務所は、日本のエンターテインメント業界で多くの人気タレントを抱えていることで知られており、彼女もここで約3年間の間、活動していたとされています。当
時の彼女の具体的な活動内容は詳細には伝わっていませんが、日本での芸能活動を通じてさまざまな経験を積んだ可能性があります。
その後、アメリカでの生活から再び日本に帰国し、現在は日本で暮らしているとされています。彼女がこれまでの経験をどのように生かし、今後どのような道を歩むのか注目が集まります。
娘・瑠奈が現在歌い手をしている噂は本当か?
SUGIZOさんの娘は「瑠奈(ルナ)」さん。
これは間違いなくLUNA SEAから文字っているので、バンドへの熱い思いが伝わってきますね。
SUGIZOさんは娘に対して、
「俺は娘が成人したら、いつ死んでもいいなと思っていた。決してでネガティブな意味ではなく。」
「娘が成人するまで、自分は人として親として全力で生きる」
「娘が独り立ちしたら、父親として役目を全うした、自分の役目は終わった、やりきったと思える」
このような発言をしています。娘さんへの愛情の深さが伝わりますよね。
SUGIZOさんの娘は、「杉原瑠奈/アルテミス」として、芸能活動をされているとの情報がありました。
2007~2010年には、芸能事務所「スターダスト」に所属し、東京やロサンゼルスでも歌手活動をされていたようです。
しかし、公式にSUGIZOさんの娘と公表しているわけではないので、信憑性は怪しいところです・・・
娘・瑠奈のXとInstagramのアカウントや画像も気になる!
娘の瑠奈さんは現在21歳ですが、残念ながら画像は非公開のようです。
「SUGIZOの娘では??」と、言われている女性がいます。
ツイッターやインスタを公開していますが、これまた可愛すぎるんです。
80年~90年代の日本のPOPSが大好きなようで、ツイッターもその昭和歌謡愛で溢れています。
しかしこれも本人かは不明でした。
瑠奈さんの幼少期の画像は公開されていますが、とても良い表情をしていますよね?
ロシア人クウォーターのモデルさんがお母さんなので、きっと美人に成長しているでしょう。
アメリカに住んでいるので、もしかしたアメリカでモデル活動をしているのかもしれませんし、いつか公開される日が来るのかもしれませんね。
SUGIZOとの写真も公開されているので、接点はあるようですが、仕事上での関係なのかな!?
その後、嫁とは離婚していて、嫁と瑠奈はアメリカに在住しているようです。
SUGIZOもオフの時は、アメリカに住んでいる嫁と娘の瑠奈に会いに行っているとのこと。
離婚はしているが、家族との関係は続いているようですね。
現在はSUGIZOさんと娘さんは離れて暮らしているようですが、SUGIZOさんの公式Twitterやインスタグラムでも嫁や娘に関しては、言及していませんでした。
娘を溺愛するSUGIZO
SUGIZOさんは、娘が生まれてすぐに離婚を経験しましたが、娘に対する愛情は一層深まりました。
彼は離婚後も頻繁にアメリカへ渡り、娘に会いに行っていたとされています。
娘が成人するまでは、父親として全力で支えるという強い決意を持っており、2016年に彼女が20歳を迎えるまで、その責任を全うしました。
彼は「娘が成人したら、いつ死んでもいい」と語っており、これはネガティブな意味ではなく、父親としての役割をやり遂げたという安堵感からきたものでした。
娘が成長する姿を見守る中で、彼は「親として全力で生きる」という使命感を持ち続け、娘が独り立ちしたことで自分の役割が終わったと感じたそうです。
SUGIZOさんのこの父親としての深い愛情は、彼の音楽活動にも大きな影響を与えました。特に環境問題や難民支援活動に積極的に取り組むようになった理由の一つは、コソボ紛争で娘と同年代の子供たちが苦しむ姿を目の当たりにしたことでした。
彼は、その光景を見て以来、社会問題に対して強い関心を抱き、貧困や紛争に苦しむ子供たちを支援することが、自身の使命だと感じるようになったのです。
2020年のインタビューで、彼が世界や政治に目を向ける理由を聞かれた際には、「父親になってから意識が変わった」と語っています。
1996年に父親となり、1998年には難民問題や空爆で命を落とす子供たちの状況に直面し、そのことが彼の人生観に大きな変化をもたらしました。
彼は、「子供たちが大人になるころには、もっと美しい世界であってほしい」という思いを強く抱くようになり、支援活動を続けています。
SUGIZOさんの娘への深い愛情は、彼の音楽にも現れています。1997年にリリースされたソロアルバム『TRUTH?』に収録されている「LUNA」は、1歳の娘に向けて作られた曲であり、その内容は完全に娘に対する思いを反映したものです。
また、SUGIZOさんは2000年代に台湾のタレント、ビビアン・スーさんと交際していましたが、この関係は彼の「過剰な娘愛」が原因で終わりを迎えたとされています。
ビビアンさんは、SUGIZOさんが娘に夢中な姿を見て、彼が「完全に自分のものにはならない」と感じ、最終的に別れを選んだと語っています。
その後、彼は台湾人のT-ANAさんとも交際していたとされていますが、ビビアンさんとの破局理由には、彼の父性溢れる一面が大きく関与していたことが示唆されています。
SUGIZOさんは娘を心から愛し、その存在が彼の人生の中心にあり続けたことで、多くの影響を受けながら活動を続けています。
SUGIZOは再婚していない
SUGIZOさんは1995年に結婚しましたが、その結婚生活は非常に短期間で終わりを迎えています。そして、現在もなお再婚しておらず、独身です。
具体的な離婚時期については、いくつかの異なる情報があります。
一説では、結婚からわずか1年程度で離婚に至ったと言われており、これは1996年頃に別れたという見解です。
もう一つの説では、娘が幼稚園に入った頃に離婚したとされ、もう少し長い期間の結婚生活があった可能性も指摘されています。どちらが正しいかははっきりしていませんが、離婚が彼の人生に与えた影響は大きかったとされています。
離婚後、SUGIZOさんは娘に対して深い愛情を持ち続け、父親としての役割を果たすため、頻繁にアメリカを訪れ、娘と会っていました。
彼は、「娘が成人したら、自分の役目は終わったと感じる」という思いを持っており、娘が成長する姿を見守りながら、父としての責任を全うしました。
この父親としての深い愛情は、彼の音楽や生き方にも大きな影響を与えています。
離婚後の恋愛に関しては、SUGIZOさんは数多くの報道に登場してきました。特に注目されたのは、台湾出身のタレント、ビビアン・スーさんとの交際です。
しかし、この関係も長くは続かず、別れた理由としては、SUGIZOさんが娘への強い愛情を持ちすぎていたことが挙げられています。
ビビアンさんは、「彼が完全に自分のものにならない」と感じたことから、自ら別れを決意したと言われています。
その後もSUGIZOさんは、台湾人のT-ANAさんとの交際が報道されるなど、恋愛に関する話題は尽きませんでしたが、2024年現在まで再婚はしておらず、独身を貫いています。
興味深いのは、離婚後もSUGIZOさんが元妻や娘と良好な関係を維持しているという点です。
娘が幼い頃に離婚したにもかかわらず、彼は父親としての役割を果たし続け、元妻とも円満な関係を築いていると伝えられています。
特に、娘との関係においては、父親としての責任感が強く、娘が成長するまで常に支え続けてきました。
このような家族との絆は、SUGIZOさんの人間性や音楽にも深く影響を与えており、環境問題や人道支援活動にも取り組む姿勢を強めています。
彼が世界の社会問題に強い関心を持ち、積極的に支援活動に関わるようになった背景には、コソボ紛争で娘と同年代の子供たちが苦しむ姿を目の当たりにした経験があると言われています。
1997年にリリースしたソロアルバム『TRUTH?』に収録された「LUNA」という曲は、当時1歳だった娘に捧げられた楽曲であり、その内容からもSUGIZOさんが娘に対してどれほど深い愛情を抱いているかがうかがえます。
SUGIZOさんは、音楽活動を通じて表現するだけでなく、父親としての自分を大切にし続け、その愛情が彼の作品や社会貢献に反映されています。
SUGIZOの元嫁はどんな人?
SUGIZOさんが結婚したのは1995年、当時26歳でLUNA SEAの全盛期でした。
彼は当時、数多くの女性ファンを持っており、バンドの人気にも大きく関わっていたため、結婚は公表されませんでした。そのため、彼の結婚に関する詳細は、ファンの間でも長く謎に包まれていました。
SUGIZOさんの結婚相手は、ロシア系クォーターの美しい女性で、「りえ」もしくは「アレックス」という名前で知られています。
元モデルだった彼女は、当時非常に美しいことで有名でしたが、彼女に関する情報は公にはほとんど知られていませんでした。
しかし、2017年に娘の瑠奈さんがSNSで母親の写真を公開したことで、その美貌が明らかになりました。ファンの間では「とんでもない美人」として知られており、顔を知っている一部のマニアックなファンはその事実を共有していましたが、彼女の顔がネット上に広まることはありませんでした。
この公開写真を通じて、彼女の美しさが再確認されました。ロシア系の血が強く現れており、モデルとしての風格を感じさせる美しさでした。
SUGIZOさんは、彼の歴代の交際相手においても、ハーフ系や外国系の女性との関わりが多かったことが知られています。
彼の美的嗜好として、完成された海外の女性の美しさに惹かれる傾向があるようで、東洋系の女性である台湾のビビアン・スーさんとの交際も、その代表例として有名です。
SUGIZOさんの元妻である杉原アレックスさんについては、現在、韓国に在住しているようです。彼女のFacebookプロフィールには「芸能活動を経て結婚、離婚。その後、娘と共にロサンゼルスに渡米し、第2の人生をスタート」と書かれているため、彼女がSUGIZOさんの元妻であることは間違いありません。
現在、メディカルエステティシャンや心理カウンセラーとして活動しており、日米韓で幅広く活躍しています。
アレックスさんは韓国に住んでいる理由について、「韓国語の習得を目指している」ことを語っており、韓国語のマンツーマンレッスンを1日2時間受けていると投稿しています。
彼女はK-POPが好きで、BTSやStray Kidsのファンであることも明らかにしており、K-POPアイドルと会話するために韓国語を学びたいという情熱を持っています。ま
た、韓国人の彼氏がいたこともあり、「今から元彼のコンサートに行く」「韓国人しか愛せない」という投稿も確認されています。
元夫であるSUGIZOさんとは現在も良好な関係を維持しているようで、LUNA SEAのライブに招待されて参加するなど、家族としての絆は続いています。
アレックスさんはFacebookで、LUNA SEAやSUGIZOさんに言及する投稿もしており、離婚後もお互いに尊敬と交流を保ちながら新しい人生を歩んでいることが伺えます。
SUGIZOの離婚理由
SUGIZOさんの離婚原因については、公式には『性格の不一致』とされています。しかし、それとは別に「ビビアン・スーさんとの交際が離婚の原因だったのでは?」という噂もあります。
ビビアン・スーさんは、SUGIZOさんと過去に熱愛関係にあったと報じられた台湾出身のタレントで、彼女との親密な関係が離婚の引き金になったのではないかという憶測が広まりました。
ただ、SUGIZOさん自身は離婚の具体的な理由について公に語っていないため、どちらが本当なのかは明らかにされていません。
離婚の背後には、夫婦間の問題や、SUGIZOさんの生活や仕事のスタイル、恋愛関係など、複数の要因が絡んでいる可能性があり、これらの噂はその一部に過ぎないのかもしれません。
こうした噂はあるものの、SUGIZOさんは離婚後も娘との良好な関係を維持し続け、父親としての役割をしっかりと果たしてきました。
SUGIZOの子供時代はどんな子供だったの?エピソードを調べてみた!
神奈川県秦野市出身のSUGIZOさんは、神奈川県立伊勢原高等学校を卒業し、音楽の道に進んでいます。
両親がオーケストラ団員という音楽一家に産まれ(父親はトランペット、母親はチェロ)、3歳の頃からヴァイオリンを学んでいました。
すごいと思ったの、カルチャーショック受けたのは、やっぱり中学生になってからかな。
YMOとかかな、やっぱり。
うちの親がオーケストラのプレイヤーで、俺が本当に3つの頃からバイオリンをね、習わされてて。
無意識のうちに弾いていた。
だから、物心ついた時には、音楽をプレイしていたんだよね。
しかし、何かと強制されるクラシックの世界はSUGIZOさんには合わなかったようで、「こうじゃなきゃいけない」「こういう姿勢で弾かなきゃいけない」というしがらみにとらわれていました。
SUGIZOさんは決まったことしか出来ないのが嫌で、屈折した子供だったといいます。
その後18才で自分のバンド(PINOCCHIO)を作り、ギターに触れます。
「手で触った感覚がギターがいちばんしっくりくる」という理由でギターを選んだ。
LUNA SEAでは、初めてツイン・ギターを体験する。
LUNA SEAはSUGIZOもINORANも「リード」「リズム」の両方を互いにこなすが、SUGIZOの立ち位置はステージ上手側で、インディーズの頃の1曲以外すべてのギター・ソロをSUGIZOが担当している。
X JAPANではHIDEが担当していたパートを担うようになったため、リードギターを担当している(立ち位置もHIDEと同じステージ上手側)。
今後の活躍も楽しみですね!