自称「夕陽評論家」の肩書を持ち、アウトドアブームの火付け役ともいえる実業家で、ライターでもあり、役者としてクロサワ映画にも出演した油井昌由樹さん。
マルチに活躍する油井昌由樹さんの子供はどのような方なのでしょうか?
調べていこうと思います。
何でも、お父さんに「あの」怪獣を見せてやるといわれて・・・
目次
油井昌由樹の子供は息子がいた!名前は「油井孝太」
油井昌由樹さんは1947年、神奈川県生まれ。
結婚した時期は不明ですが、1974年に「孝太」さんという男の子が生まれます。
油井孝太さんは、2019年現在、西麻布にあるバーのオーナーとして働いている他、西麻布地区のお店を取りまとめて、「太陽祭」というイベントを企画、運営しているといわれています。
ちなみに、バーの店名はお父さんである油井昌由樹さんがつけたそうです。
太陽祭の議事録というか、連絡事項をまとめていったものがきっかけで、西麻布の様々な情報を盛り込んだ「太陽新聞」を祭の度に発行し、その編集長もやっています。
SNSなどの写真を見ると、バンド活動もしているようですね。
堅苦しい感じではなく、ちょっとユルい感じで人が集まり、みんなで楽しめればいいという雰囲気が、油井孝太さんからはうかがえます。
見た目は非常に自由人なように見えますが、2019年現在、高校生の娘さんを一番上に子供がいるお父さんでもあります。
油井孝太はお父さんにだまされて映画に出演した!
油井昌由樹さんの子供の油井孝太さんは、小さい時に映画に出演したことがあるそうです。
それも、あの「世界のクロサワ」、黒沢明監督の作品。
油井昌由樹さんが黒澤明監督の作品のオーディションに提出した油井孝太さんをおんぶした写真が目に留まり、一度会ってみたいとなったといわれています。
ただ、当時油井孝太さんは6才。
これから会う人が世界的に有名な監督であっても、そのネームバリューは通用しません。
そこで、お父さんである油井昌由樹さんは「ゴジラやウルトラマンがいるぞ」と言って、油井孝太さんを誘いだしたそうです。
だけど行ったら、ゴジラの着ぐるみの頭だけ立体で、ぺちゃんこになった身体がぶら下がっている。
あーあと思ってがっかりですよ(笑)。
結局、会って3分で出演が決定し、晴れて映画デビューとなった油井孝太さんですが、映画の出演はこれっきり、その後特に芸能活動をしているようでもないです。
娘もいるという噂が気になる!
油井昌由樹さんには、息子の油井孝太さんだけでなく、娘もいるという噂があります。
そこで、SNSなどを調べていくと、「油井三佳」さんという女性に行きつきました。
油井三佳さんは、油井昌由樹さんが経営しているアウトドアショップの店長をしているようです。
油井孝太さんの子供たちの写真に「かわいい姪」等といったコメントを寄せているので、油井三佳さんが油井孝太さんのきょうだい、すなわち油井昌由樹さんの娘であることは確実でしょうが、いつ生まれたのかなど、年齢については分かりませんでした。
西麻布の油井孝太さんのお店に行けば、会えるかもしれませんね。
油井昌由樹か黒澤明監督作品への出演で有名!
油井昌由樹さんが俳優としてデビューしたのは、1980年。
30歳を過ぎた遅咲きのデビューです。
しかも、監督があの黒澤明さん。
主演以外の役者を公募で募集するという前代未聞の作品で、見事役を勝ち取ります。
その後もいくつかのクロサワ作品に出演し、黒澤明さんが亡くなってからは、黒澤明さんにまつわるイベントを取り仕切っているそうです。
黒澤明作品出演作①影武者
油井昌由樹さんがオーディションを勝ち抜いて出演した作品が1980年に公開された「影武者」です。
「影武者」は主演の予定だった勝新太郎さんが、演出の方向性などから降板し、仲代達也さんが代役として出演することになった作品です。
この作品で油井昌由樹さんは徳川家康を演じ、仲代達也さん演じる武田信玄の影武者が偽物だと証明するために策略をめぐらせていました。
「影武者」は当時の日本の興行収入で1位となり、カンヌ映画祭でパルムドール賞も受賞する名作となりました。
黒澤明作品出演作②乱
続いて油井昌由樹さんが出演したクロサワ作品は、1985年に公開された「乱」です。
「乱」は日仏合作の映画で、こちらも仲代達屋さんが主演。
シェイクスピアの「リア王」をオマージュした作品だといわれている、黒澤明さんが監督した最後の時代劇です。
油井昌由樹さんは平山丹後役として出演しています。
黒澤明作品出演作③夢
1990年に公開された日米合作の「夢」にも油井昌由樹さんは出演。
黒澤明さんが見た夢を元に作られた8話からなるオムニバス形式の作品で、油井昌由樹さんは第3話の「雪あらし」に出演しています。
「夢」の制作中に、黒澤明さんのアカデミー名誉賞の受賞が決まったそうで、授賞式で、キャスト、スタッフ、黒澤明さんのお孫さんらが一堂に会して、受賞と誕生日のお祝いコメントをビデオで流されたそうです。
黒澤明作品出演作④まあだだよ
油井昌由樹さんが出演したクロサワ作品の最後が1993年に公開された「まあだだよ」です。
これまでのクロサワ作品とは打って変わって、終始穏やかな感じで進んでいくこの作品、黒沢明さんの監督50周年と通算30作目という記念碑的な作品となりました。
そして、この作品が黒澤明さんの遺作となりました。
油井昌由樹さんは主人公の先生に師事する門下生役のひとりだったそうです。
油井昌由樹の本業って、俳優じゃないの?
黒沢明監督の作品への出演で有名な油井昌由樹さんですが、もともと俳優ではありません。
本業として知られているのは、アウトドアショップのオーナーです。
油井昌由樹さんは日本に初めてアウトドア用品を持ち込んだパイオニアとして知られているそうです。
ここで、簡単に油井昌由樹さんの経歴をお伝えします。
生まれは神奈川の外科医の家。
厳格かと思われるのですが、非常に開けた家だったそうで、高校生の時にはお母さんがタバコをカートン単位で買って用意してあったといわれています。
※もちろん、未成年者の喫煙は禁じられています。
世の中の学生が学生運動にいそしむ頃、モテたい一心でファッションにのめりこんでいったそうです。
外国人のカルチャーに非常に関心があったようで、外国人のたまり場にも足しげく通い、いろんな遊びを覚えていったといわれています。
そして、大学卒業後の世界一周旅行で最初に降り立ったアラスカで大きなカルチャーショックを受けるのです。
今まで履いていたパンタロンを脱ぎ捨て、リーバイスの501だよ。
アメリカの生活にリアルに溶け込んでいるように感じられてワクワクしながら履き替えて。
しかも、いきなりダンガリーでボタンダウンみたいなシャツを見つけちゃって着替えて、カウボーイがしてるやつねとか思ってバンダナ巻いて、ワッチキャップも被って、レイバンもかけてって、全部変わるんだよ。
持ってたバッグも、今でいうバックパックだよね、背負子に変えたりして、ケルティーの。
足元はワークブーツ。
ソールは電気を通さないために厚みがあるビブラム社のもので、つま先にスティールが入ってるスティールシャンクというガチンガチンの8インチのワークブーツ。
当時の興奮がわかるような語り口で、このように話してくれたことがありました。
アラスカで身に着けていた恰好そのままで、今度はヨーロッパを訪れると、人々がみんな「格好いい」と絶賛。
若かった油井昌由樹さんは、そこで自分の審美眼に過信ともいえるくらいの自信を持ち、どんどんとアラスカの生活で見てきた、いわゆるアウトドア関連のグッズを収集していきました。
それらを土産に日本に戻ってくると、垂涎の眼差しでそれらのグッズをみていたそうです。
そこに商売のヒントを得た油井昌由樹さんは、古本屋で手に入れたカタログを手に、アウトドア用品の輸入を始めます。
最初から順調というわけではなかったようですが、「ポパイ」の編集長となる石川次郎さんらが早くから油井昌由樹さんのお店に注目していて、雑誌で取りあげられるとともに、どんどん売れるようになっていったそうです。