明石昌夫の子供は息子がいる?今現在の活動や松本孝弘と不仲という噂について

B’z の曲のアレンジャーとして初期の頃から活躍していた 明石昌夫さん

彼の 息子さんは一体どんな人なのでしょうか?

松本孝弘との問題とは一体何なのでしょうか?

 

明石昌夫の子供は息子がいる?

明石昌夫さんと奥さんとの間には息子さんがいらっしゃいます。

今はB’zのファンイベントに出演するなど、 DJとして活躍しているようです。

・初期B’zに欠かせない存在のベース奏者・明石昌夫さんの息子さん!

当日はベースをCDJに持ち替えてDJプレイ!

・彼のDNAを継ぐ息子さんがどんなプレイをするのか楽しみ♪

星降る夜に騒ごう~B’zナイト~ B’zの名曲達を聴きながら、歌ったり踊ったりするイベントです。

いつか 親子共演もあるのでしょうか?

見てみたいですね。

音楽プロデューサーである明石昌夫さんには 息子さんが一人いらっしゃることが分かっています。

残念ながら確信は持てなかったのですが、 上の画像の真ん中の男性がその息子さんなのではないかと思われます。

ものすごく似ているわけではありませんが、真ん中の男性は どこか明石昌夫さんに似ているような気がするのは私だけではないはずです…。

 

明石昌夫の今現在の活動について

明石昌夫さん自身は、B’zだけでなく、いわゆる「 ビーイング」グループの数多くのアーティストのアレンジに参加し、ビーイング脱退後も、 SIAM SHADEなど著名なアーティストの作品に参加するなど、活躍の場を広げ、 現在は還暦を迎え、洗足学園音楽大学で教鞭を執っています

音楽好きの一家に生まれた明石昌夫さんはなんと 4歳からバイオリンを習い始めました。

中学生の頃にはすでにブリティッシュロックの虜になるなど 音楽に夢中になっていたようです。

1988年明石昌夫さんが送った デモテープが being で評価されそのまま契約。

初めての編曲作品はなんとB’zの「 だからその手を離して」でした。

とにかくアレンジがうまい!と彼の 才能は開花したのです。

 

明石昌夫は「AKASHI MASAO GROUP」として活動中

1994年から自らの名前を冠として バンドAKASHI MASAO GROUP(通称AMG)を結成

メンバーは ベース明石昌夫、ボーカル千葉恭司、ギター団篤史。

主に大阪のライブハウスで活動し、インディーズレーベルBLUE-Z RECORDSよりアルバムを4枚とビデオ1本をリリース。

1997年末に活動停止。

他アーティストの楽曲を編曲する時とはまったく違う、低く重いブルージーなサウンドで、本人の音楽的ルーツが色濃く反映されていたと考えられる。

また、 明石が作詞を担当した作品が存在する

アレンジャーとして大活躍していた明石昌夫さんでしたが、B’z の担当をしていた頃から ベースが上手いと評判でした。

きっとどこかで明石昌夫さんは 自分もアーティストとして演奏してみたいという気持ちがあったのだと思います。

大阪のライブハウスを中心に4枚のアルバムをリリースし、アレンジャーの時とは違う 低く重いブルージーなサウンドを披露しました。

B’z のファンだけど、明石昌夫さんのバンドの曲は一度も聞いていないという方は是非一度聞いてみてください!

 

明石昌夫と松本孝弘は不仲なの?

明石昌夫さんは、B’zのデビュー曲「だからその手を離して」から初期のB’zの作品のほとんどのアレンジをしたことや、ツアーにも参加していることから、「 3人目のB’z」とも呼ばれています。

初期のB’zメンバーといえば、 松本孝弘(ギター)、 稲葉浩志(ボーカル); 増田隆宣(キーボード・ピアノ・ オルガン )、 Shane Gaalaas(ドラム・パーカッション)、 Barry Sparks(ベース)、大賀好修(ギター)、 明石昌夫(ベース、シンセサイザー)というそうそうたるメンバーでした。

B’z のアレンジャーとして初期の作品からほとんどの曲を手がけた明石昌夫さんは 3人目の B’Z 何て呼ばれていたんですね。

この中でも 松本孝弘さんと明石昌夫さんは犬猿の仲だったようです。

松本孝弘さんとの間に何らかのすれ違いがあり、Beingともすれ違って 退社しか道が無かったとも言われています。

・B’zのLOOSEとかいう最強アルバムに明石昌夫がベーシストとして参加をしていたが、編曲には「敵がいなけりゃ」のみで、ヴォーカルの稲葉浩志になったし、 長らく続いていた「作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘 編曲:松本孝弘・明石昌夫」という方程式が崩れたからね。

・マジな話、明石昌夫というアレンジャーが 辞めてから落ち目

明石昌夫路線がなければバッコミだけの一発屋

しかし明石昌夫さんは 突然ビーズ去ってしまいました

詳細は明かされていませんがどうやら明石昌夫さんと松本孝弘さんの間に埋められない問題ができてしまったようです。

B’z のファンの中には明石昌夫さんがいなくなってから 曲が良くなくなった

落ち目なんてことを言う人もいるそうです。

人間どうにかうまくやろうと思っても、埋められない溝ができてしまうことってあるかもしれません。

明石昌夫さんが音楽に対してどんなふうに考えていたのか… 紹介したい文章があります。

レコーディングがうまくいかなくて、何日も徹夜が続いたり、睡眠時間がなくて朦朧としてるときも、やれどもやれども 作品がボツになり、出口が見えないときも、それでも 音楽に関わってる幸せだけは、 何物にも代えられないものでした。

音楽に音として携わっている人は単に幸せ者なのかと思っていましたが、 予想以上に苦労している世界でもあるんだなと思いました。

音楽を愛している人なら、どんな困難な問題が生じても、必ず答えを見つけることができるはずです。

逆に言えば、音楽以外にもやりたいこともあるし・・・

という人には、ちょっと つらすぎる業界ですね。

音楽を愛していればどんな困難が生じても必ず答えが見つかる…

音楽業界は明石昌夫さんにとってどんな辛い試練を与えていたのか…。

いつかB’z の松本孝弘さんとの問題が 明かされる日が来るのが楽しみです。

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