爆笑問題の太田光さんは見てるこちらもハラハラしちゃうほど暴走キャラですよね。
しかし、私生活では夫婦でかなり苦労していたようなんです。
今回は太田光さんの結婚生活や子供についてまとめていきたいと思います。
目次
太田光に子供がいない理由
太田光さんは1990年に太田光代さんと結婚しました。
結婚当初は子供は今は考えていないと言っていたお二人ですが、結婚10年目にして子供を意識し始めたと言います。
そんな2人は、結婚して10年目で子作りをスタートさせたとか。その頃の年齢が35歳。
35歳での子作りは大変なことですが、太田光さんの父親が「孫の顔がみたい」と言われたことで、見せてあげたいと思ったそうです。
35歳からの子作りはなかなか厳しいのが現状です。
結論から言いますとお二人は子供を授かることができませんでした。
子供がいない理由としては、子作りスタートの年齢も関係しているのではないでしょうかね。
太田光と太田光代は不妊治療
子作りをスタートさせたお二人は不妊治療を始めました。
太田光代さんが不妊治療の様子をTwitterで報告していたこともあって、ご存知の方も多いかもしれませんが、テレビなどで随分と過酷な日々だったと語られています。
太田光代は36歳から3年間のホルモン治療をしたようですが、体に合わず体調を著しく壊してしまったため断念してしまいました。
不妊治療の様子は随時ツイッターで太田光代が報告していましたが、排卵誘発剤を使っていたことも報告していたことから排卵障害があったという。
それでも諦めきれなかった太田光代は、それまで敬遠していた顕微授精に2012年から臨みます。
この内容を目にするだけでも過酷さが伝わりますから、不妊治療を行う太田光代さんはもちろん、太田光さんもはかなりきつかったことでしょう。
顕微授精も2度臨みましたが、妊娠できず、その後Twitterでの報告が途絶えたと言います。
太田光代が涙の告白!不妊の苦悩を救った亡き義母の言葉
不妊治療に臨み続けてきた太田光代さん。
不妊治療をするのに身体・精神・時間・金銭面でも相当負担がかかると思いますが、周囲からのプレッシャーというのもかなりきつかったのではないでしょうか。
「光も私もお互い一人っ子で両親のためにも子供が欲しかった。
不妊治療をしているとき、お義父さんは会うたびに『子供つくったら?』と言ってきたんですが、お義母さんが『あなたは忙しいんだから無理しなくていいんだよ』って私をフォローしてくれて。
子供には恵まれませんでしたが、お義母さんの言葉に気持ちが楽になってどれだけ救われたことか」
そんな時に救ってくれたのが太田光さんの母親の言葉だったようでした。
不妊治療のことをお義母さんに話していたのかは分かりませんが、いろいろと察して太田光代さんを守ってくれていたのでしょうね。
素敵な方です。
太田光代「他者に言われる事では」不妊への暴言に反論した訳
太田光代さんは不妊治療のことをTwitterで報告していたため、そのTwitter上で太田光さんへの批判とともに『夫婦に子供がいないことが「救い」』という暴言を受けたのだそうです。
それについて太田は《私の胸の鼓動が速くなるのを止められません》と心痛を明かし、《子供を授からなかったことに、なんらかの意味がある事は私たちは少なからず知っていますが、他者に言われる事ではありません》とつづった。
それに対して太田光代さんは上記のように反論したと言います。
そのように反論した訳をある記者はこのように語っています。
不妊治療をめぐり、太田には様々な出来事が起こった。
肉体的にも精神的にも疲弊することが続いた。
そういった経験をしてきたからこそ、今回の暴言に《鼓動が速くなるほど》堪えられなかったようだ。
太田光代さんは身をもって子供を授かることがどんなに大変か、そして子供が授かることが奇跡だということを実感したのではないでしょうか。
つらい経験をしてきたから、そういった暴言を軽々しく言うことに色々な気持ちが芽生えたのでしょう。
女性としても今よりも多くの方に不妊治療や子作り、子育てに関する意識や知識を身につけてほしいと望むばかりです。
太田光代の不妊なのは太田光の方にも原因が
また、子供ができなかったのは太田光さんにも原因がありました。
妊娠しない理由には太田光側の理由もあったようで、医師から精子の量が少ないと言われていたため自然妊娠は臨めない状態にあったという。
このことを太田光さんの父親に話したところ、なかなか受け入れてくれなかったそうですが太田光さんの一言で納得したのだと言います。
最近は男性もブライダルチェックをすることもある時代ですから、不妊の原因としては女性に限らないということですね。
太田光の子供の頃&子供時代
では最後に、太田光さんはどのような子供時代を過ごしてきたのでしょうか。
実は今とは真逆で父親とはあまり会話せず大人しい性格で反抗期もなかったと言います。
意外ですよね~。
また、母親も父親も本が好きで本に囲まれた生活だったとか。
その影響もあって太田光さんも児童文学を自分で読んだり、幼い頃は母親が毎晩本を読み聞かせしていたようでした。
いかがでしたでしょうか。
大変な苦労をしてきた二人だからこそ絆が深いのでしょうね。
今後も太田光さん夫婦の活躍を期待しています。