今回は俳優の山口崇(やまぐち たかし)さんについてみていきましょう。
目次
山口崇の子供は娘と息子の2人だった!名前や画像を見てみよう!
山口崇さんといえば俳優としての活動以外にも司会者をメインに活動していますね。
また、長唄三味線奏者・民話研究家としても活動されています。
東京都内の高校を卒業後、早稲田大学教育学部に入学するも中退。
NHK俳優養成所を卒所した後、1974年に「芸能座」を結成。
俳優として活躍する一方で、人気司会者の仲間入りを果たします。
俳優としての人気作品には「天下御免」「大岡越前」などがあり、主に時代劇に出演することが多いですね。
私生活では元女優で邦楽家の杵屋巳貴(きねや みき)さんと結婚し、3人のお子さんをもうけています。
先日金婚式を迎えたという仲睦ましいお2人。2人のお子さんについて掘り下げていきましょう。
長女の名前は山口由紀!職業は「三味線奏者」だった!
山口崇さんの長女は山口由紀さん。杵屋巳織の芸名で、長唄三味線奏者として活動しています。
杵屋巳貴さんの検索で多かった「山口由紀」という名前は娘さんの名前だったんですね。
しかし、一家で長唄奏者として活躍されているなんて素晴らしいですよね!
家族みんなで、日々精進しながら一流の奏者になれるように頑張っていると思います。
山口崇さん一家は長唄三味線奏者として、地元のイベントをはじめとする多数のイベントに出演しているようです。
長男の名前は山口太郎!職業は「長唄唄方」だった!
山口崇さんの長男は、山口太郎(芸名:杵屋津也)さん。
山口太郎さんも山口崇さん同様に、俳優と長唄奏者の両方で活躍しています。
ちなみに長男誕生から4年後に次男も誕生していますが、表舞台に出ていないため情報がありませんでした。
父の影響で幼少の頃より長唄に親しみ、杵屋巳太郎に入門。
また、東音福田克也にも師事し、舞踊会、歌舞伎、演奏会に出演する他、箏曲グループのCDや演奏会に参加、前衛舞踏家とミュージシャンとのセッションなどを行っている。
ところで、一家が深く携わっている長唄(ながうた)とはどういう音楽なのでしょうか?
近世邦楽の一ジャンル、三味線音楽の一ジャンル、江戸の音曲の一つであり、正式名称は江戸長唄(えど ながうた)という。
またこれとは別に、地歌の一分類として上方長歌(かみがた ながうた)がある。
江戸長唄は義太夫節など語りを中心とした「語り物」とは異なり、唄を中心とした「歌い物」、「うたもの」である。
演奏は基本的に複数人の唄と三味線で成り立っているが、曲目によっては小鼓、大鼓、太鼓、笛などで構成される「お囃子」が付くこともある。
また、通常の三味線パートのほかに「上調子」と呼ばれる三味線パートを持つ曲も存在する。
宝暦期以降の歌舞伎舞台演出で流行となり、日本の音楽史でも由緒あるジャンルとなっています。
山口崇の実家の住所(場所)は兵庫県淡路島!「築○○○年」の旧家だった!
山口崇さんの実家は兵庫県三原郡阿那賀村となっていますが、淡路島に位置します。
淡路の実家は享保の古民家と言われる、300年前から残る住まいだそうです。
歴史的にも価値の高い家だそうで、値段がつけられないほどだとか・・・一度見てみたいですね!
山口崇の若い頃がかっこいいと話題!【画像あり】
現在も俳優として活躍している、山口崇さんですが、若いころも今とは違った魅力でかっこいいですよね。
山口崇さんの出演作品については、主に以下のようになっています。
・NHK大河ドラマシリーズ:(源義経/三姉妹/天と地と/風と雲と虹と/春の波涛/元禄繚乱)
・銭形平次
・お嬢さん
・見合い恋愛
・肝っ玉かあさん
・大岡越前
・天下御免
・幸福相談
・雪国
・水戸黄門
全て俳優として出演している作品ですが、どれも時代劇の中で人気作品ばかりですよね!
当時の番組を観ていた方も、山口崇さんといえばこの作品!と連想するのではないでしょうか。
若い頃の出演番組①肝っ玉かあさん(ドラマ)
『肝っ玉かあさん』は、1968年~1972年までTBS系で全3シリーズにわたって放送された人気ドラマです。
通算放送回数は117回にもおよび、石井ふく子プロデューサーが主役に抜擢した京塚昌子さんが、太った体を生かし、少しおっちょこちょいだがしっかり者の母親を演じ大好評でした。
30%前後の視聴率を誇り、後の『ありがとう』『渡る世間は鬼ばかり』に通じる人気路線の先駆けドラマといえます。
大正一(山口崇)…五三子の長男。
会社員だったが、第3シリーズで脱サラして実家に同居し「大正庵」で働くように。子煩悩である。
山口崇さんが演じたのは、肝っ玉かあさんの長男でした。
若い頃の出演番②クイズタイムショック(バラエティー番組)
山口崇さんの司会で最も人気を博したのが、テレビ朝日系列の「クイズタイムショック」でした。
山口崇さんは2代目司会者として、1978年~1986年間で司会を務めてきました。
夫:僕のほうも、舞台、映画、テレビ……それにあの、タイムショックが始まった。
せいぜい、ワンクール(約3カ月)ぐらいでクビになるだろうと思ってたんです。
そしたら、先代司会者の田宮二郎さんから引き継いで間もなく、紀伊国屋ホールの楽屋に、タイムショックのプロデューサーが真っ青になって飛んできて、田宮さんが亡くなったと。ショックでねえ。
妻:あなたもやめようとしたのよね。
夫:今でこそ話題にできるけど、当時はすごく重荷を感じました。
僕も降板させてもらいますと。
そこを何とか、って説き伏せられて、結局8年、務めたけど。
当初、山口崇さんはタイムショックの司会をやりたくなかったそうですが・・・
人気番組となり、8年間務め上げました。