元女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレントという肩書をもつ、大山のぶ代さんについて調べています。
どんな方なのでしょうね。
目次
大山のぶ代の子供は2人産まれるも死亡していた
大山のぶ代さんと砂川啓介さんの間に子どもがいない理由についてお話しします。実は、妊娠と出産の経験がありましたが、悲しいことにいずれも長くは続かなかったのです。
最初の妊娠では、32歳のときに男の子を妊娠しました。しかし、7ヶ月目に入ったところで、残念ながら死産となってしまいました。心からお悔やみ申し上げます。
その後、38歳のときに女の子を出産することができましたが、未熟児として生まれ、心臓と肺に先天的な疾患を抱えていました。そのため、生後わずか3ヶ月で亡くなってしまいました。
このように、大山のぶ代さんと砂川啓介さんは、30代のうちに二人の子どもを妊娠しましたが、いずれも短い命でこの世を去ってしまいました。ご夫婦にとって、深い悲しみと困難な時期であったことは想像に難くありません。
お二人が経験した痛みと失望に心からお悔やみ申し上げます。
子供が亡くなった後の夫婦関係
大山のぶ代さんは、過去に2度も子どもを失うという深い悲しみを経験しました。この出来事が彼女にとって大きな心の傷となり、その影響は夫婦の関係にも及びました。具体的には、このトラウマが原因で、40年以上にわたり寝室を別にし、セッ〇スレスの状態が続いたと言われています。
彼女にとって、子どもを2度も亡くしたことは非常に辛い経験であり、その影響で「子がない夫婦は、子がないなりに生きていこう」と決意したとされています。この決意は、彼女が自身の辛い経験を乗り越え、現実を受け入れた結果の選択だったのでしょう。
大山のぶ代が結婚した旦那は砂川啓介
結婚式は赤坂プリンスホテルで挙げていたそうです。
夫婦関係・結婚生活エピソード
2015年、大山のぶ代さんが認知症を患っていることが公にされた際、大きな話題となりました。認知症の診断は2012年に下されていたものの、当初は公表が控えられていました。しかし、治療を受けながらも病状が進行し続けたため、2015年にようやく発表されることとなったのです。
その間、大山のぶ代さんの夫である砂川啓介さんは、彼女の介護を一手に引き受けていました。砂川さんは当時70代後半であり、大山さんの介護は非常に過酷なものでした。具体的には、認知症の影響で5分前の出来事を忘れる、徘徊する、トイレの使い方を忘れる、排泄物を触ってしまうなどの症状が現れ、砂川さんは毎日のように排泄物の処理や汚れたシーツの洗濯、衣服を汚した大山さんの体を洗うなどの世話を行っていました。
さらに、医師から処方された認知症の治療薬の飲み方を何度説明しても大山さんが忘れてしまうため、砂川さんは声を荒げることもありました。そのたびに自己嫌悪に陥り、心身ともに追い詰められ、お酒の量も増えてしまったといいます。
それでも砂川啓介さんは、大山さんとの結婚から半世紀が経過した今になっても、毎晩ギュッと抱きしめ合うことで夫婦のぬくもりを痛切に感じていました。「今、彼女は完全に子供になっている」と語り、亡き娘の姿を重ね合わせながら、妻の認知症を受け入れ、愛情を注いでいました。施設に入れる選択肢はなく、夫婦の絆を深める形で共に過ごしていたのです。
砂川さんは、認知症の大山さんに対しても深い愛情を持ち続け、彼女が自分にハグを求めてくる姿をいとおしく思い、夫婦としての絆を保ち続けました。
ガンで死去
大山のぶ代さんを介護していた砂川啓介さんは、2017年7月11日に尿管がんが原因で亡くなりました。彼は同年5月に初めて入院し、6月には脳梗塞で再入院していました。
大山さんはその入院中、何度か病院を訪れていましたが、残念ながら砂川さんの最後には立ち会うことができなかったと言われています。
砂川啓介さんは生前、大山のぶ代さんへの献身的な愛情を示し、「妻より先に死ねない」と語っていました。彼は、亡くなる際には妻の面倒を頼むようマネージャーに託し、その言葉通りに旅立ちました。
残念ながら、大山のぶ代さんは重度の認知症を患っていたため、砂川啓介さんの通夜や告別式には出席することができませんでした。彼女は斎場には足を運び、棺に入った砂川さんに「お父さん」と何度も話しかけたものの、すぐに「帰る」と言い、その場を後にしたとされています。
現在、大山のぶ代さんは老人ホームで生活しており、夫婦のマネージャーを務めていた女性が彼女の面倒を見ています。健康状態は良好で、老人ホームでの生活も楽しんでいる様子です。