ロックミュージシャンの忌野清志郎さんには2人の子供がいます。
今回は忌野清志郎さんの子供に注目して、年齢や現在の活動について調べました。
目次
忌野清志郎に子供は息子、娘が1人
忌野清志郎さんには息子さんと娘さんがいます。
長年、忌野清志郎のファンだった景子さんという女性と30代中頃に結婚。
忌野清志郎と結婚相手の栗原景子さんとの間に、1男1女をもうけました。
忌野清志郎さんには2人の子供がいるとのことで、それぞれについて見てみましょう。
息子
まずは息子さんについてです。
忌野清志郎さんの息子・竜平さんは2024年現在、30代後半になっているようです。竜平さんが誕生したとき、忌野さんはその喜びを抑えきれず、ライブ中にファンに向けて報告したといいます。
さらには既存の歌詞を即興でアレンジし、息子の誕生を祝う特別な歌を披露しました。ファンたちは、彼のプライベートな喜びを間近で感じ取ることができ、まさに感動のひとときだったのでしょう。忌野さんはきっと、息子思いで優しい父親だったのだろうと想像できます。
息子さんは忌野清志郎さんの作品に参加していました。
長男の栗原竜平は、すでに大学を出て成人しています。
実は、息子の栗原竜平は「Baby ♯1」で、娘の栗原百代は「プリプリ・ベイビー」でコーラス参加していたのだとか。
息子さんは名前も公開されていますから芸能人だったのでしょうかね。
息子さんの名前は出てくるのですが、画像は見つけることができませんでした。
娘
続いて娘さんについてです。
娘さんも名前の情報が見つかりました。
栗原百代さん(くりはらももよ)忌野清志郎の娘(長女)にあたる。
忌野清志郎の曲『プリプリ・ベイビー』に参加。
娘さんも作品に参加していますね。
娘さんは画像が見つかっています。
娘さんは有名な方なのでしょうか。
この後、娘さんの職業についても紹介をします。
忌野清志郎の子供たちの年齢
忌野清志郎さんの子供について名前については知ることができましたが、年齢はどうなのでしょう。
忌野清志郎の息子・栗原竜平さんの誕生日は平成元年です。
つまり、現在の栗原竜平さんの年齢は31歳という事でいいでしょう。
忌野清志郎さんは2009年に亡くなられています。
その時、息子さんは20歳なので子供にしてみると父親の死は早かったのではないでしょうか?
忌野清志郎の息子・栗原竜平の現在
忌野清志郎の息子・栗原竜平さんは2024年現在35歳になりますが、なんのお仕事をしているのでしょうか?
気になって調べましたが、栗原竜平さんが現在何をされているかは分かりませんでした。
子供の頃に事故にあっていた?
幸せな忌野家に悲劇が訪れたのは、竜平さんが生まれてから7年後のことです。竜平さんが7歳のとき、交通事故に遭ってしまいました。2002年に放送されたテレビ朝日系の「徹子の部屋」で、忌野さんがその出来事について詳しく語っています。
事故が起こったのは、交通量の少ない道路でした。なぜか竜平さんは道路の真ん中で上着を丁寧にたたんでいたのです。
その場所は、彼にとって遊び場のような感覚だったのかもしれません。
しかし、そのとき運悪く車が近づき、竜平さんは大きくはねられてしまいました。事故後、手術は5〜6時間にも及び、非常に深刻な怪我だったことがうかがえます。
それでも幸いなことに、竜平さんは無事に回復し、快気祝いとして関係者に贈られたのは、忌野さんらしいオリジナルCDだったそうです。
そのジャケットとディスクには、子どもが描いたような絵が印刷されており、元気になった竜平さんが自ら描いたものだったのではないかと思われます。
忌野さんは有名人であるがゆえに、常に「息子に危害が加えられるのではないか」と心配していたそうです。
特に誘拐のリスクを恐れていましたが、実際に事故が起こると、「誘拐よりも交通事故に遭う可能性のほうがずっと高いのに、そのことを考えていなかった」と深く後悔していたといいます。どんなに愛する家族を守ろうとしても、想定外の出来事に直面することがあるという現実を痛感したのでしょう。
障害の噂
忌野清志郎の息子・栗原竜平さんに障害者との噂が出ています。
果たして息子さんは障害者なのでしょうか?
忌野清志郎の息子・栗原竜平さんには障害があるという噂がありますが、これはデマです。
実際に竜平さんは忌野清志郎のアルバム「Baby ♯1」でコーラスとして参加していますし、子供の頃から舞台に上がって歌を披露したりしています。
もし竜平さんに障害があったとしたら、こんな事は出来ません。
また、忌野清志郎は雑誌のインタビューで「息子が親が忌野清志郎だってバレないようにしている」や「息子が家に友達を連れてきても、俺に会わせないようにすぐに自分の部屋に連れて行ってしまうんだ」と悲しそうに答えていた事から、息子の竜平さんにも思春期・反抗期があった事が伺えます。
障害者の噂が出た理由は分からなかったのですが、デマだったようですね。
忌野清志郎の娘の現在
出典:https://bcool.black
忌野清志郎さんの娘・百代さんは現在何をされているのでしょう。
現在の職業についての情報が見つかりました。
イラストレーター・ゴムハンコ作家。
2014年4月に自身初の個展「一粒万倍 百世のモモ版画」を銀座のギャラリー403で開催。
銀座に個展を開くほどの実力とのことで、忌野清志郎さんの本の表紙も手掛けていました。
伝説のバンドマン忌野清志郎氏の長女である彼女は、父が書き下ろした本「ネズミに捧ぐ詩」の表紙をデザインしたことでも知られる。
自身初のファッションブランドとの取り組みとなる本展は、独創的な表現で個性豊かなオリジナルキャラクターを描き続ける彼女のユニークなゴムハンコ作品を多数展示販売。
ゴムハンコ展とはまた不思議な感じですね。忌野清志郎さんはお子さん達との共同作品がいくつかあり、家族で仲が良かったのでしょう。
早くに亡くなられたのは残念ですが、忌野清志郎さんは今でも多くの人から愛されています。
娘の性格
忌野清志郎さんの娘の百世(ももよ)さんはいつも笑顔を絶やさず、周囲の人々との調和を大切にする優しい性格の持ち主だそうです。少しシャイなところがあり、そのあたりが忌野さんに似ていると言われています。
2002年、忌野さんは「ブーアの森へ」という曲をリリースしました。この曲はNHKの「みんなの歌」にも選ばれ、幅広い世代に親しまれています。
実は、この楽曲のコーラスに百世さんも参加していました。忌野さんの自宅にはレコーディングスタジオが併設されていたため、子供たちとの距離が近く、自然と家族との時間を共有できる環境だったのです。
「ブーアの森へ」のレコーディング中には、百世さんの友達も遊びに来ていました。通常のミュージシャンなら「録音中だから静かにして」と注意する場面かもしれませんが、忌野さんはその反対のタイプでした。
彼は百世さんたちの集まりを「全宇宙少年少女合唱団」と名付け、そのまま彼女たちもコーラスに参加させてしまいました。子どもたちの無邪気な声が加わり、楽曲はより魅力的なものとなったのです。
このエピソードからも、忌野さんがどれほど子供好きで、家族を大切にしていたのかが伝わってきます。音楽と家族が一体となった温かい時間を楽しんでいたのは、まさに忌野さんらしい光景だったのでしょう。