俳優・アマチュア考古学者として活動する、苅谷俊介さんについて見てみましょう。
それでは、ご覧ください。
苅谷俊介の子供は娘がいる?
今年72歳になった、西部警察で有名な男性ですね。
本名は苅谷 俊彦(かりや としひこ)。
身長は178cm、血液型はA型。
石原プロモーション、青山芸術企画に所属していた。
いつ頃、芸能界へ入ったのでしょうか?
大分県に生まれる。
同県日出町出身。
大分県立大分工業高等学校卒業後、家庭の事情で大学進学を諦めて上京して就職。
働きながら俳優になろうと東宝芸能学校演技科に入学して、1968年3月に卒業。
1970年の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』の助監督を経て、1971年に渡哲也主演の松竹映画『さらば掟』で映画俳優デビュー。
芸能界デビューしてから、半世紀ほど経過しているようですね。
一般女性とご結婚しているそうですよ。
苅谷さんは、1969年にご結婚されています。
奥さんの名前は、英子さんというそうです。
お子さんはいますか?
お二人の間には、娘さんが一人おられるそうですが、こちらも情報がないことから、一般のお仕事をされているのではないかと思われます。
なんと、万葉集を育児で活用していたそうですね。
渋いお父さんですね~
苅谷俊介の自宅(住まい)がスゴイ?
お住まいが凄いという噂がありますね。
どちらへ住居を構えているのでしょうか?
2003年頃から、苅谷さんは、神奈川県秦野市に住まれているようです。
自然豊かな土地で、自宅の庭にはイノシシが出ることもあるそうです。
15年ほど、住んでいるそうですね。
庭には、ご自身で割った薪が、高く積まれているそうで、友人たちと火を囲んで語り合ったり、一人で考え事をするのが好きなのだそうです。
苅谷俊介さんは、自然に囲まれた場所がお好みとの事ですよ。
そういえば趣味が考古学とありますので、何か学んでいるのでしょうね。
自宅の住所・場所は神奈川県秦野市のどこ?
今は、神奈川県内にお住まいだそうですね。
苅谷俊介さんのご自宅は、神奈川県秦野市戸川という土地。
自然に囲まれた、スローライフがお好きなようですよ。
神奈川県秦野市戸川は名山やゴルフコースもたくさんあり、都会とは一線を画す地域だそうですね。
特に苅谷俊介さんが気に入っているのは、秦野の自然豊かな土地はもちろん「焚火ができる」ところだそうです。
苅谷俊介さんは焚火で自分の作った土器を焼いたりすることもある。
考古学好きな苅谷俊介さんですので、もっとも適したライフスタイルなのでしょうね。
それにしても、土器を眺める画像↑のお顔が至福感200%ですよ~(笑)
苅谷俊介の現在の活動
今はどのような活動をしているのでしょうか?
現在も、奈良県の「纏向(まきむく)遺跡」で、発掘作業に携わり、邪馬台国の中枢とされる、建物の柱を見つけ出されたとか。
やはり考古学への愛が深いですね。
実際に発掘まで行っているとの事ですので、ロマン溢れる男性なのでしょう。
それにしても、邪馬台国の柱を発見したって凄いことですよね!
現在の苅谷俊介さんは昔と変わらない日々を送っています。
田舎暮らしをしながら、考古学の研究や畑仕事をして、オファーが来たら俳優業もこなしています。
現在の苅谷俊介さんは芸能界でも活躍し、なおかつ考古学の世界でも尽力しているそうですよ。
そもそも考古学には、なぜ興味をもったのでしょうね。
高校2年生の時に学校をさぼって抜け出したところに、たまたま発掘現場に出会ったことが興味を持ち始めたきっかけでした。
学生時代から考古学に興味を抱いていたそうですよ。
ただ芸能界へも興味があり、役者として活躍してきました。
若い頃は、考古学に関して今のような深い思慮までは抱いていなかったそうですね。
再び考古学への情熱が再燃したのは、石原裕次郎さんの新居建築現場から土器を含む遺跡が見つかったことでした。
これも運命のお導きだったのでしょうね。
ご縁というものは、素晴らしいものです。
計算してできるものではありませんので、苅谷俊介さんにとって最高の運命だったのでしょうね。
ちなみに、元々は芸能プロダクションの石原軍団に所属していたそうですよ。
苅谷俊介さんが石原プロにいた頃は、苅谷俊介さんの方が年は上でしたが、舘ひろしさんの後輩という間柄だったそうですですが、同志のような関係だったそうです。
「西部警察」や「もっとあぶない刑事」など多くの作品で、苅谷俊介さんと舘ひろしさんは共演しています。
苅谷俊介さんは、色気ムンムンの男優さん達と同じ事務所に所属していたそうです。
ただ、先のように考古学への情熱が再燃して、石原軍団を辞めていますね。
苅谷俊介さんが石原プロを退社する時には、舘ひろしさんが「当面食べていくための金がいるだろうから」との理由で、舘ひろしさんが知り合いのレコード会社に頼んで苅谷俊介さんを歌手デビューさせたそうです。
その意図は、曲の印税で生活できるようにとの配慮からでした。
苅谷俊介さんは石原軍団について「一番大切な実家。男同士の絆で結びついている」と語っています。
仲間の援護もあり、大好きな考古学への道が広がっていったそうですよ。
苅谷俊介さんは、2017年の大河ドラマ「おんな城主直虎」へ出演されていました。
これからも、俳優業と考古学を共に楽しんでくださいね!