ある日突然 母とともに 北朝鮮に拉致された 曽我ひとみさん。
彼女が帰国した時、そこには 2人の娘たちが一緒でした。
彼女たちは一体今、 何をしているのでしょうか?
目次
曽我ひとみの子供たちは娘が2人
北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(59)が3日、地元の新潟県佐渡市で新潟県立大の学生に講演した。
帰国から16年がたち、 拉致事件を知らない世代が増えているとして、「 風化を防ぐために、1人でも多くの人に拉致について伝え、声を上げてほしい」と述べた。
私が初めて「拉致」のことを知ったのは今から約20年くらい前のことでした。
あまりにも恐ろしい内容で…夜、 中々眠れなかったことを覚えています。
↑の画像、左の若い女性は曽我ひとみさんが 拉致された頃のもの。
そして右の女性は 拉致から解放され日本に帰国した時の曽我ひとみさんの写真です。
まるで 母と娘かと見間違えるような 月日の経過が拉致の残酷さを物語っています。
拉致事件内容
拉致されたのは1978年(昭和53年)8月12日。
曽我ひとみは当時 19歳。
職業は准看護婦。
母親は 46歳です。
2人で出かけていた時の 帰り道、佐渡で拉致されました。
1978年8月18日から1990年まで平壌市内で横田めぐみと同居していたといいます。
その後に、元アメリカ兵のジェンキンスと結婚しました。
1983年6月に長女を出産。
1985年7月に次女を出産しています。
ある日突然北朝鮮の工作員によって拉致された曽我ひとみさんは、 元アメリカ兵のジェンキンスさんと結婚。
その後、曽我ひとみさんにとって自分の命よりも大事な 2人の娘を授かりました。
曽我ひとみの長女:ロベルタ・ミカ(美花)・ジェンキンス
私が曽我ひとみさんとご家族を初めてテレビで見た時、 娘たちがアメリカ人のハーフという予想外の出来事に驚いたことを今でも覚えています。
北朝鮮に拉致されたのであれば、 北朝鮮の人と結婚しているのかと、勝手に思い込んでいたので、見た瞬間、何が起きているのか分からなかったくらい びっくりしました。
2005年の4月から娘二人は新潟大国際センターに通って、 日本語の勉強が始まったといいます。
当時は長女も 21歳次女は 19歳という若さでしたので、話せるようになるにはそんなに時間はかかわらなかったのではないでしょうか。
また、曽我ひとみさんは、拉致から解放された当初は 日本語をすっかり忘れて、ほとんど話せない状態だったといいます。
そのため日本に帰国することになったときに、娘ふたりに『 日本語勉強したほうがいいんじゃないの』といわれたことがきっかけで、日本語もまたあらためて学び始めたのでしょう。
日本に帰って来られて幸せだった曽我ひとみさんですが、長年の北朝鮮生活で、すっかり日本語が話せなくなっていたようです。
しかし確か帰国当時のテレビでは、割としっかりと 日本語を話していたイメージがあります。
あの時は恐る恐る返事する程度だったので、すらすらと日本語が出てくる状態とは違ったのかもしれませんね。
娘たちは、 日本に来てから日本語の勉強を始めたんだそう。
頭の良さそうな娘さんたちなので取得するのが早かったのかもしれませんね。
長女のミカさんは 今も独身でいらっしゃいます。
曽我ひとみの次女:ブリンダ・キャロル・ジェンキンス
↑の画像、 左側の女性が次女、そして 真ん中の背が高くてスラっとしている女性が長女です。
長女:曽我 美花(そが みか)
次女:曽我 ブリンダ
年齢は、美花さんが33歳くらいで、次女のブリンダさんは31歳と、もう30代ということになりますね(2017年時点)
佐渡ヶ島の両津にあホるテルで、 韓国人観光ツアー客のガイドをしたあと、 ブライダルの専門学校に通った。
長女よりも柔軟な性格だと言われている 次女のブリンダさんは、姉よりも早く 日本に溶け込んだそうです。
仕事は韓国人観光ツアー客のガイドをしたり、ブライダルの専門学校にも通っていたなんて!!
かなり アクティブな女性のようです。
曽我ひとみの娘たちは北朝鮮政府によってスパイにされようとしていた
過酷な状況でも 家族の深い絆があったことが伺える曽我ひとみさんファミリー。
家族の存在が彼女の心を救っていたようですね。
【ニューヨーク高橋弘司】米有力誌タイム(電子版)は5日、北朝鮮の拉致被害者、曽我ひとみさん(46)の夫で、元脱走米兵のチャールズ・ジェンキンスさん(64)との単独会見内容を報じた。
ジェンキンスさんは 北朝鮮が2人の娘をスパイとして韓国に送り込もうとしていることがわかり、悩んだと明らかにした上で、「 娘を(北朝鮮から)連れ出したのは正しいことだった」などと心情を語っている。
タイム誌によると、ジェンキンスさんは北朝鮮当局が曽我さんとの間にできた長女美花さん(21)、二女ブリンダさん(19)の2人の娘を平壌外国語大学に入学させたことに言及、「 彼らが何をしようとしているのか私にはわかった。
娘たちをスパイに仕立て、韓国に送り込むつもりだったのだ」と涙ながらに明かした。
自分たちがされた「拉致」やもっとむごいことを、娘たちがスパイとしてやらされる可能性があったのかもしれません。
その理由について、ジェンキンスさんは 「米軍が駐留する韓国には、米兵と韓国人女性の間に生まれた子供が多く、誰にも疑われないため」などと指摘した。
エリート大学として知られる同大学は 情報工作員の養成機関でもあるとされる。
そんな娘たちを救ったのは父・ジェンキンスさんと母・曽我ひとみさんでした。
日本帰国の話が途中でおじゃんになれば、 命を奪われる可能性だってあったはずなのに…。
無事に帰って来られて本当に良かったと思います。
↑の画像は、 酒屋で働く次女の写真です。
彼女はお茶目な性格なのか、 現地に溶け込んでいる様子が伺えます。
ジェンキンスさんは自らの脱走経過などについても詳述した後、「私は25年間、刑務所で暮らしていた」と述べ、「私は人生で多くの過ちを犯してきた。
だが、 娘らを連れ出したことは私がした唯一の正しいことだった」と振り返った。
そんなジェンキンスさんは 大のお酒好きとして知られています。
既にこの世をさってしまいましたが、きっと今もご家族を見守っているに違いありません。
曽我ひとみの子供たちの現在について
↑の画像、 緊張する長女と、なんだか ワクワクしている次女。
きっとお姉さんが妹思いだから末っ子は 呑気でいられたのかもしれません。
曽我ひとみの娘の現在について調べてみました。
長女の名前:曽我 美花
職業:保育士
次女の名前:曽我ブリンダ
職業:酒造会社
2018年現在、曽我ひとみさんの娘さんたちは、 長女が保育士、 次女が嫁いだ酒屋で仕事をしているようです。
物静かで慎重そうな長女のミカさん。
保育士の仕事、凄く向いてそうな気がします!!
子供が好きだと思うので、近い将来 誰かと結婚されるかもしれませんね。
曽我ひとみの長女・ミカは保育士
政府の教育が影響したのか、 治療という名目でジャカルタに向かった後、北朝鮮にはもう戻らないこと告げると、 長女のミカさんは北朝鮮を出たがらなかったそうです。
ミカさんはアメリカ人に見られたら すぐに殺されるのだと思っていたそうで、北朝鮮では誰もがそう教え込まれていたといいます。
次女のブリンダさんもそう教わっていましたが、彼女は父・ジェンキンスさんの言うことも信じていました。
とは言え、 父・ジェンキンスさんは娘たちに北朝鮮のことをどう思っているか恐ろしくて話せなかったと言います。
今では保育士として活躍されている長女・ミカさんですが、北朝鮮を出ると殺されると思っていたなんて…。
帰国したばかりの頃は 毎日怖かったことだろうと思います。
曽我ひとみの次女・キャロルは現在結婚
すっかり 看板女将のようになった次女。
この人、 結構面白い方なのではないでしょうか…!!
また、曽我ひとみの娘さんが結婚してるのでは?という噂がながれているようですが、どうも次女はご結婚されているそうです。
子供がいるのかはわかりませんでしたが、 年齢的に産んでいらっしゃるかもしれませんね。
2017年に10年ぶりの会見で曽我ひとみさんが家族について語って入れていました。
酒造会社というのは 嫁ぎ先なのかもしれませんね。
2018年で 59歳になった曽我ひとみさん。
一緒に拉致された お母さんは、北朝鮮に向かう船の中で殺され、海に捨てられたと言われています。
しかし現在も 生きている可能性が残っているのです。
曽我ひとみさんにとって、 妹的存在と言われている、 横田めぐみさんについても、早く救ってあげないと…もう残っている時間は本当に少なくなっています。
時間がない、1日、1時間が貴重と声を上げ続ける曽我ひとみさん。
どうか、拉致された人 全員が帰国できる日が来ますように…。