ヴィジュアリストという肩書きで活動する、手塚眞。
映画監督など映像全般に関わるクリエーターの仕事を指すみたいですね。
手塚治虫の息子でもあります。
そんな手塚眞ですが、結婚しています。
子供がいるのか気になりますね。
また、結婚した嫁は漫画家という話ですよ。
どんなふうに知り合ったのか気になりますね。
そして、手塚眞に死亡説が流れているそうですが本当なのでしょうか。
今回は手塚眞について調べてみました。
目次
手塚眞に子供はいるのかが気になる!
手塚眞は1989年に結婚しています。
結婚して30年経つんですね。
子供がいるのかが気になりますが、なにか情報はあるのでしょうか。
手塚眞さんと岡野玲子さんにお子さんがいらっしゃるかどうかを調べましたが、はっきりとした情報は出てきません。
意外なことに情報がないようですね。
手塚眞 + 息子、子供
と多くの方が検索されているのもわかっています。
しかし、いっさい子供の情報が出てきません。
あらゆるところで手塚眞の子供について調べましたが、やはり何も出てきませんでした。
手塚眞自身も才能がありますが、手塚治虫の血を引いた孫がいれば・・・と考える人が多いようですね。
あまりに有名な人なので、子供のことを公表していない可能性もありますが、それでも存在すら全く確認できないということは、子供はいないと思っていいのではないでしょうか。
手塚眞が結婚した妻・岡野玲子の職業は漫画家
手塚眞の嫁は岡野玲子といいます。
岡野玲子は漫画家です。
眞監督の奥様は、なんと「陰陽師」の岡野玲子先生だったんです!
陰陽師を書いた人だったんですね!
手塚治虫も岡野玲子も偉大な漫画家ですが、お互いのことは知っていたのでしょうか?
ちなみに、岡野さん自身は結婚するまで手塚治虫さんの作品を読んだことがなく、「結婚前にあわてて読んだ」そうです(笑)
なんと、自分が結婚しようとしている男性の父親の作品を、読んだことがなかったといいますから驚きですね!
しかし、これはお互い様だったようで・・・
かくいう手塚治虫さんのほうも岡野さんの作品を読んだことがなく、僧侶が主人公の漫画(『ファンシイダンス』)を描いていると聞いて、かなり誤解していたんだとか・・・
お互いに相手の作品を知らなかったというのが意外でした。
漫画家って人の漫画は読まないのかな?
でも、手塚治虫の作品を全く読んでいないというのはやはり驚きですよね。
他に、岡野玲子について挙げておきますね。
東洋美術学校を卒業後、1982年「プチフラワー」掲載の『エスタープリーズ』でデビュー。
1984年開始の『ファンシィダンス』で人気を得る。
作品は繊細な筆致で描かれたファンタジーが多く、時に独特のユーモアも混じる。
代表作に夢枕獏原作の『陰陽師』など。
作画にはコピートーンを多用しており、オリジナルのトーンを作りながら作品を制作している。
サム・ペキンパーの映画『ワイルドバンチ』の銃撃シーンに感銘を受けたことが漫画家を目指すきっかけになったという。
味のある作品が多いように思います。
そして絵が綺麗ですよね。
本当に、手塚眞との間に子供がいないとしたらつくづく残念だなぁと思います。
【馴れ初め】妻・岡野玲子とはどこで知り合ったの?
手塚眞と岡野玲子が知り合ったきっかけは何だったのでしょうか。
馴れ初めのようなものがあるのか調べてみましたが、詳しい話は出てきませんでした。
知り合ったきっかけなどは公表していないのかもしれないですね。
手塚治虫を父に持つ、手塚眞さんが妻に選んだ女性は偶然にも漫画家だったのだとか!?
これってただの偶然なのか…それとも奇跡というべきなのか…。
運命という糸が手繰り寄せてしまったのでは?なんて思ってしまいます。
なんとなく、漫画家を選んだのは手塚治虫の血が関係しているような・・・・?
と思いたくなってしまう組み合わせです。
手塚眞の「死因」って!?→亡くなったという噂はデマだった!
手塚眞を調べていくと、「死因」というワードが一緒に検索されていました。
もしかして、手塚眞はすでに亡くなっているのでしょうか??
調べてみましたが、手塚眞が亡くなっているという話はありません!
つまり、死因など検索されていますが、もともと亡くなっていませんよ!
しかし、どうして「死因」などという言葉が出てきたのでしょうか。
もしかしたら、父親の手塚治虫の死因が間違って手塚眞に結びついてしまった可能性がありますね。
手塚眞は現在も活躍中で、亡くなってなどいませんので安心してください。
ちなみに、誤解されたのかもしれない父親の手塚治虫の死因ですが、胃がんです。
1988(昭和63)年3月、59歳の時、胃の不調を急に訴え、手術を受ける。
5月に退院するや否や、胃の変調を忘れたかのように仕事に復帰、没頭する。
11月、中国上海で開かれたアニメーションフェスティバルの終了後に昏倒。
帰国し、半蔵門病院に入院。
スキルス性胃がんと診断される。
当時の医療の慣習で、本人にがん告知はされなかった。
病気が表面化してからあっという間に亡くなってしまったようですね。
手塚眞には長生きしてほしいものです。
以上、手塚眞の子供や嫁、死因についてでした。