プロ野球として大活躍し、その後いくつものチームで監督になった 石毛宏典さん。
評価されてきた一方… 批判されることも多かったようです。
その理由とは何だったのでしょうか?
目次
石毛宏典の子供は息子と娘が6人?
石毛宏典さんですが、才能のある人物は、必ずどこか 偏っているものですよね。
石毛宏典さんの場合、 結婚と離婚の回数がヤバイのです。
というのも、石毛宏典さんは、 三回結婚して、三回離婚されています。
「 子供と嫁が大事!」とインタビューで答えていたこともあるので、人を大切にしていない性格ではないと思うのですが、続かないのですね。
では、息子さんと娘さんがどうしているのか、ですが、実は正確に掴めませんでした。
元西武ライオンズのプロ野球選手・石毛宏典さん。
私の父が大の野球ファンだったことから、子供の頃よく食卓にその名が上がっていたことを覚えています。
とても目立つ選手で、毎年年末に行われる オールスター野球選手大会では女装したり、歌を歌ったりと楽しい姿を披露してくれました。
野球がうまくて、人気者で、面白い人…ではただただ ヒーローのような存在でしたが…。
実は石毛宏典さん、私生活ではかなりやばいことが判明したのです。
なぜなら、 子供さんが、どうやら6人いるらしいのです。
三回も結婚と離婚をされているため、情報が錯綜していますね。
2009年には「2人の子供」 2012年には「3人の子供」という発言があるので、離婚した元奥さんが育てている子供もいて、合計6人なのでしょうか。
芸能スポーツ界には離婚を繰り返す人も多いですが、なかでも派手な方ですね。
石毛宏典さんは、 スタメンをくじ引きで選んだ(どのポジションでもできるように選手を成長させるため。)
上の画像の角刈りの風貌から、私は勝手にこの人が とても真面目で家族を大事にする人…と思っていましたが…。
実際のところは3回結婚して3回とも離婚。
一度もを上手くいっていなかったのです。
あまりにもたくさん結婚と離婚を繰り返すため、石毛宏典さんに何人の子供がいるか正確には把握できていません。
しかし2009年に二人の子供、2012年に三人の子供、そしていつ出来たのかは不明ですか、もう一人お子さんがいらっしゃるようです。
それにしても スタメンをくじ引きで選ぶ?
一体どういうことが行われていたのでしょうか?
石毛宏典の性格が酷い?
石毛宏典さんは、スタメンをくじ引きで選んだ(どのポジションでもできるように選手を成長させるため。)
など、変わった性格だとは言われます。
そんな性格が、離婚にも関係しているのでしょうか?
石毛宏典さんは残念ながら性格が悪いという噂があります。
昔を思い出すと父もあまりこの人が好きではなかったような記憶があります。
その理由は監督になった時、スタメンをくじ引きで選んだからなのか?
それとも三度の離婚をするほど 性格が変わっているのでしょうか?
石毛宏典の人間性を疑うとの声も
日本プロ野球史上最低の監督はやはり石毛宏典氏ですか?
石毛は ダイエーの2軍監督時代くじ引きでスタメンオーダーを決めていたらしいですが、他にエピソードはないでしょうか?
東尾修氏や広岡氏は石毛の事を揃って「 監督にはむかない奴」と笑いながら話、馬鹿にしていたらしいですが、そこまで言うとなると可笑しなエピソードは山ほどあるのですよね?
石毛宏典さんの傍若無人な監督ぶりに、東尾修さんや広岡さんは「監督に向かない人」!
なんて馬鹿にしていたそうですが、実際はそういうことではなかったみたいです。
石毛宏典さん、 かなり天然な性格だったようです。
数年前にオリックスの一軍監督にも就任しましたが、 たった数ヶ月で辞任…と、一年すらもちませんでした。
器量/技量的な事も勿論ですが…
この方きっと、どうも人間/性格的にも恐らく何かあるのでは…!?
現に東尾や広岡などの…他の人も決して 良くは言ってないワケでしょう?
プロ野球選手になりそして監督に選ばれる…。
これって本当に本当に たった一握りの人が手にできる成功です。
それを手にした石毛宏典さん。
彼に 人望や才能、魅力があったことは間違いないのですが…。
一体 何が欠点だったのでしょうか?
石毛宏典の現在について
2010年12月7日、 野球殿堂入り候補者名簿・プレーヤー部門に掲載された。
2013年、FOX SPORTS ジャパンによるNPB試合中継への参入を受けて、同局の プロ野球中継・情報番組『BASEBALL CENTER』のアナリスト(専属解説者)に就任。
その一方で、 プロ野球経験者による学生野球の指導に必要な研修会を受講した。
2014年、1月20日付で、日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定。
6月1日からは、駒澤大学時代の石毛の2年後輩・染谷希一が監督を務める千葉商科大学付属高等学校硬式野球部で、 非常勤のテクニカルアドバイザーとして部員を随時指導している。
ちなみに、NPB球団の監督経験者が母校以外の高校で本格的に野球を指導するのは、 石毛が初めてである。
プライドがそれほど高くなく、 とにかく野球が好きだったと思われる石毛宏典さん。
監督を解任されても、今度は高校の野球部でアドバイザーを務めるなど!
野球と生きる人生を選択していきます。
石毛宏典は永久追放されてしまった?
引退後もダイエーに籍を置き、1997年に ロサンゼルス・ドジャースにコーチ留学。
1998年、 ダイエー2軍監督に就任するが、1年間のみで事実上解任される。
1999年から3年間は NHK、スポーツニッポンの野球解説者。
2001年10月9日 オリックス・ブルーウェーブ監督に就任。
しかし、正式発表前に NHKにメジャーリーグのポストシーズン解説を依頼され、断るためやむなく就任を打ち明けたところ、『NHKニュース』で報道されることになり、こうなっては仕方がないと、スポニチにも監督打診の話を打ち明けた。
これが「 内部機密を外に漏らすようなやつは信用ならん」とオーナーの宮内義彦の不興を買い、石毛も反発して「 この話、白紙に戻しましょうや」と応じた。
結局NHKとスポニチに事前報道しないよう依頼し、いずれも自粛に応じた。
石毛宏典さんは 2001年、ある不本意な事件を起こしていました。
それは彼に NHK からメジャーリーグ・ポストシーズンの解説を依頼され「実はオリックスブルーウェーブの監督に就任しているのです」ということを漏らしてしまったのです。
おそらく野球ばかりやっていた石毛宏典さん!
ビジネスのことはうとかったのではないかと思います。
しかし現実的には内部気密を外に漏らしたと激怒され…。
石毛宏典の退団理由は成績の低迷
最終的に監督就任は実現したが、2002年は球団では39年ぶり、オリックスでは初の 最下位に終わった。
翌2003年も開幕から低迷。
20試合(7勝12敗1分け)を終了した4月23日に解任される。
采配振りから監督としての資質が疑問視されたが、球団も積極的に補強を講じていないとして 石毛に対する同情の声もあった。
石毛によると、解任の引き金となったのは、新入団の外国人選手(ブラウン、オーティズ)が不振で、日本野球に慣れさせるため二軍に落としたことにあった。
これが採用した球団社長の岡添裕への意趣返しと見なされ、 解任されたという。
オリックスの監督就任 スタート時点から躓いてしまった石毛宏典さん。
球団側からの援護がもらえず結局は 解任されてしまいます。
度重なる離婚とスキャンダルも追放の原因?
電撃的に、事実上の解任が発表された。
当時の週刊誌は、石毛解任の理由として〈ジャンケンやくじ引きなどで打順を決めた〉ことを書き立てた。
だが、本人によれば、 事の真相はまるで違っている。
石毛の考えは、二軍での打順は一軍に通用する打順ではないから何番でも関係ない、というものだ。
たとえば、二軍の4番打者も、一軍に上がるとまず控え要員。
バントを命じられて失敗したら、また二軍に落とされてしまう。
ならば、4番でもたまには1番、2番で出場してバントすればいい。
そうして、バントひとつ確実に決められるようになって初めて、一軍定着の道が開ける。
定着すれば、本来の打撃で勝負できるかもしれない。
当然、 この考えは二軍の選手たちに説明され、受け入れられていた。
本人は「やり方が気に入らなかったんでしょう」と言うが、その「やり方」とは、実は現場における石毛の指導方針ではなかった。
最初はスタメンをくじ引きで決めるなんて、なんてひどい監督なんだと思いましたが…。
実際は色々な理由があったのですね!
もしかしたら石毛宏典という男… 口下手で馬鹿正直。
ただ単に野球バカというくらい 野球が大好きだっただけなのかもしれません。
「当時、球団の管理部長をやられていた方に呼ばれて、『今後、ホークスはどうしたら強いチームになれるか、忌憚(きたん)のない意見を聞かせてほしい』と言われました。
そこで言わせてもらったのは、『僕が育ってきた西武のやり方を見ると、まず根本陸夫さんが素材のいい選手を集めて、きっちり技術指導できる監督・広岡達朗さんを呼んでスキルアップを図り、次にマネジメントをしていました。
そういう面では若干、ホークスは編成の面でまだ足りないかもわかりませんね』という話です。
なぜかこの意見が原因となって、『 石毛は要らん』ということになったみたいです」
上の画像は 親戚の子供達と仲良く写真を撮る石毛宏典さんの写真です。
実際もこんな感じで子供達にとって、 良きパパなのかもしれませんね!!