今回は俳優、声優、童話作家等で知られる佐野浅夫さんを紹介していきます。
目次
佐野浅夫の子供は息子が2人
佐野浅夫(さのあさお)さんは役者としては1993年からの「水戸黄門」で3代目水戸光圀役として活躍したことで特に知られている(初代東野英治郎さんや2代目西村晃さんとは一味違い、庶民的で優しく慈悲深い泣き虫黄門様として親しまれた)と思いますが、光圀出演回数は246回、太秦の撮影所では自転車を乗り回していたそうです。
そのほかにも1958年放送の「私は貝になりたい」、1980年代に放送された「太陽にほえろ」などにも出演されています。
お子さんはお二人いるようで、どちらも息子さんみたいです。
長男は大学の教員
お兄さんのほうはどうやら大学の教員のようですが一般人の方なのでそれ以上のことはわかりませんでした。
次男は競輪選手の川村晃司
次男のほうは競輪の選手のようで、かなり凄腕のようです。
その記事がありました。
「瀬戸の王子杯争奪戦・G3」(9日、玉野)
2日目12Rに「ももたろう賞」(優秀)が行われ、8番手に置かれた川村晃司(41)=京都・85期・S1=が最終バックからのまくり追い込みで1着。
2000年8月のデビューから1525走で通算400勝を飾った。
レースは正攻法の三谷竜生(奈良)が打鐘前に誘導員をかわして先頭へ。
打鐘で柴崎淳(三重)が仕掛け、3~4角で出切るが、後ろの岩津裕介(岡山)が離れ、三谷が番手にハマる。
最終2角手前から三谷が番手まくりを放つが、8番手になってしまった川村が外を豪快に踏み上げ、ゴール前で三谷をかわして1着。
三谷後位を椎木尾拓哉(和歌山)から奪った和田圭が差して2着に入り、三谷は3着に粘った。
レース後の川村は「(通算400勝は)長い短いというより、迫ってからが長く感じましたね。
通過点と思うので、今後も勝ち星を増やしたいです」と語った。
川村は3日目(10日)11Rの準決勝に登場。
決勝進出(3着まで)を目指す。
この記事は2018年のものですが、合計でなんと400勝もしていたみたいです。
佐野浅夫の再婚した妻は以句子
佐野浅夫さんはもともと結婚しており、その結婚相手は英子さんといい、長い間連れ添いあった仲だったみたいですが1998年に死別してしまい、それが影響し佐野浅夫さんは一時期芸能活動を休止するほどでした。
その後の2000年には元芸妓の以句子さんと再婚しましたが、以句子さんは佐野浅夫さんよりも21歳も年下だったようで、佐野浅夫さんが83歳の時には「徹子の部屋」に一緒に出られていたようです。
その時の紹介文がこちらです。
水戸黄門(3代目)でお馴染みの佐野浅夫さんが、21歳年下の女性と再婚して話題となったのは8年前。
現在は83歳になった佐野さんが、今日は元気に『徹子の部屋』にやって来る!
それもなんと愛妻・以句子さんを連れて・・・。
もと芸妓で祇園の貸席の女将だった以句子さんは最初、結婚なんて夢にも思ってなかったのだそうだ。
そんな彼女が結婚を決意した理由は?
興味津々の黒柳に、以句子さんは「同情です!」と・・・
天真爛漫(?)な以句子さんの登場で、さすがの黒柳もたじたじ!?
止まらない妻のトークに佐野さんは・・・
ということでかなり仲もよさそうですね!
妻・以句子との結婚までの馴れ初め
馴れ初めはよくわかりませんでした。
しかし、かなり有名な方なのでいつのまにか知り合っていたといってもおかしくないですよね。
ちなみに、この以句子さんはお店を経営しているみたいで、その紹介文もありました。
同店を経営するのは、テレビ時代劇の三代目・水戸黄門役で知られる佐野浅夫さんの妻・佐野以句子さん。
元芸妓(げいこ)で、京都祇園の貸席の女将(おかみ)を務めていたという以句子さんが、「勉強のために購入した絵画コレクションを活用したい」と出店した。
白を基調とした店内はギャラリーも兼ねており、現代画家の和田直樹さん、湯山俊久さんなどの油絵を飾る。
席数は、20席。
ランチメニューは、日替わりで内容が変わる「松花堂弁当」と「鯛茶漬け」(各15食限定=1,200円)のみ。
ディナーは予算や料理のリクエストに応じた京懐石を中心に提供する。
今後について、以句子さんは「型にはまらない京都流のおもてなしを提供していきたい。
自分一人の接客では限界があるので、ランチメニューは予約していただければ」とほほ笑む。
ということでした!
元嫁はどんな人?
かなり昔なこととあまり情報がないことでほぼよくわかりませんでした。
ただ、先に旅立たれたことによって佐野浅夫さんはかなりショックを受けたことは間違いないですね。
佐野浅夫の今現在の活動について
2010年の記事では以句子さん曰く体力的にも30分が限界だと書いてありましたので、現在は経営しているお店でお手伝いをしているのではないでしょうか。
死去の噂はデマ
死去の噂がありましたが、全くのデマでした。
しかし現在何をしているかは不明なので、もしテレビで活躍する機会があればまた見たいですね。