福永洋一の子供は娘がいる?嫁・妻や武豊との関係について

今回は元騎手の福永洋一(ふくなが よういち)さんについてみていきましょう。

 

福永洋一の子供は娘がいる?

かつて「天才騎手」と呼ばれた福永洋一さん。

距離が不向きかつ追い込み馬と見られていた馬を、残り1500メートルで先頭に立たせ勝利を収め、福永洋一さんの騎手生活における代表的な騎乗と言われるようになりました。

年間最多勝記録を131勝に塗り替えたのちに落馬事故が原因で引退した福永洋一さん。

現在は表舞台に出ることはありませんが、私生活では結婚していてお子さんがいらっしゃいます。

洋一さんは、調教師をしていた日迫良一さんの姪である祐美子さんと、祐美子さんが短大在学中に知り合い、1976年2月16日に結婚されました。

その年の12月9日、長男・祐一さんが誕生しました。

長男・祐一さんが誕生した2年後には、第二子となる長女が誕生しています。

娘さんの名前は不明ですが、現在は理学療法士として活躍しているようです。

 

福永洋一の息子・福永祐一もジョッキー

福永祐一さんは父と同じくジョッキーへの道をあゆみ、入学の際には金屏風を前にして記者会見が行われるなど異例の空気でした。

祐一は1996年3月2日に騎手としてデビューし、初騎乗初勝利を挙げた。

この様子を洋一はテレビで観戦し、ゴール後は笑みを浮かべ、柴田政人からの「勝ったところを見たか」という電話に対し「うん」と返答した。

開催を終えた祐一が帰宅した際には、直々に「おめでとう」と声を掛けている。

祐一は父が築き上げた人脈の恩恵も受け、当年新人としては異例の50以上の厩舎から騎乗を依頼され、新人騎手として史上3位の記録(当時)となる53勝を挙げてJRA賞最多勝利新人騎手を受賞した。

二世騎手と言われることに対し、福永祐一さんはまったく苦に感じなかったそうです。

それ以降は毎年ランキング上位を占める騎手として定着し、984勝を達成して父・洋一さんの記録を更新します。

そんな福永祐一さんは、元フジテレビアナウンサーの松尾翠さんと結婚しています。

 

福永洋一が結婚した嫁(妻)はどんな人?画像や馴れ初めをチェック!

福永洋一さんの奥さんについては一般人のため詳細な情報がありませんでした。

テレビでしか知らないけれど、笑顔の美しい優しい印象を受ける方でしたね。

福永が落馬負傷後に2度くらい特集番組があって、お辛いだろうに、かいがいしくお世話をされてそれでもニコニコと笑顔で美しく感じました。

テレビの取材で素顔を見せたことがありますが、とても美しい奥さんのようですね。

 

福永洋一の実力が気になる!武豊とはどちらが成績がいいの?

福永洋一さんは、現在活躍している武豊騎手をもしのぐ人気と評価がありました。

また、兄・甲さん、二三雄さん、尚武さんも騎手であり、四兄弟全員が競馬界で活躍するという稀に見ない快挙を達成しています。

3年目に入ると洋一の騎乗を希望する馬主が増加し、また栗田や安田伊佐夫といった兄弟子が、良馬を選んで優先的に洋一に騎乗させるなど厩舎からの援助も受け、春先からリーディング争いでトップの位置を占めると、最終的には86勝を挙げ、リーディングジョッキーの座を獲得した。

1977年春にはインターグロリアで桜花賞、ハードバージで皐月賞を制覇。

秋にはインターグロリアでエリザベス女王杯にも優勝。

さらに当年、野平祐二が保持した年間最多勝記録を19年ぶりに塗り替える126勝を記録した。

翌年にはオヤマテスコで桜花賞を連覇し、年間最多勝記録も131勝に更新した。

引退した福永洋一さんに比較すると、現役である武豊騎手さんのほうが2005年に2600勝ジョッキーとなり成績が良いのはわかりますね。

もしまだ福永洋一さんも現役だったら・・・と考えるとどちらが勝っていたか分からないかもしれません!

 

過去に落馬事故で意識不明の重体に!

福永洋一さんは1979年、順調に勝利を重ねていた矢先、落馬事故にあってしまいます。

最後の直線において、斎藤博美が騎乗していたハクヨーカツヒデが前の馬に乗り掛かる形となり、まず斎藤が落馬。

さらに後方から走ってきたマリージョーイの脚が斎藤に接触し、洋一は大きく前方にのめったマリージョーイの背から落ちて馬場に叩き付けられ、頭を強打するとともに舌の3分の2以上を噛み切る重傷を負い、その場で意識不明となった。

かなりの大事故となってしまいましたが、福永洋一さんは調教でもよく落ちてケロッと起き上がっていたので、まさかここまでの大惨事になっているとは誰も思わなかったようです。

なんとか一命をとりとめて徐々に容態は安定し、リハビリ生活を送ることになります。

 

リハビリ生活の末、現在は騎手を引退。

福永洋一さんは約1年間のリハビリにより、同年9月に事故以来初めての自力歩行をします。

12月にはたどたどしく挨拶を返せるくらいにまで回復しました。

2年後の1981年に騎手を引退。

その後も徐々にではあるが回復を続け、1984年10月には家族と武田文吾が見守るなかで、栗東トレーニングセンター内の角馬場で約5年半ぶりに馬に跨った。

この時馬上で、かつて好んで歌っていた『南国土佐を後にして』を口ずさんだという。

命に別状はなくて良かったですが、まだまだ現役で活躍できるときの事故で無念だったことでしょう。

息子の祐一さんが、父の無念を晴らしてくれることを祈ります!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)