泉谷しげるに子供はいる?家族構成や生い立ちまとめ

悪い親父だけど、どこか魅力的…。

年を取れば取るほど、人気が上昇する 俳優兼ミュージシャンの泉谷しげるさん

破天荒ながら幸せを掴んだ彼の生活とはどんなものなのでしょうか?

泉谷しげるに子供は娘がいる?

泉谷しげるさんは 結婚なさっており、娘さんがいらっしゃるようです。

奥さんは一般女性とのことで、名前や年齢、画像などの情報は特に出回っていないようです。

娘さんには3人の子供がおり、泉谷しげるさんは3人の孫たちを溺愛しているみたいですね。

以前は3世代で同居していたそうですが、孫たちにおもちゃを買い与えすぎることが問題となり、娘さん一家から「 隔離」されてしまったということがあったのだそうです。

失礼ながら イケメンとは言えない泉谷しげるさん!

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その風貌+破天荒な性格で、どうみても女性に モテたとは思えません

しかしどんな人でも結婚できるのはたった一人の相手だけ。

泉谷しげるさんは 最高のパートナーを1人ゲットしたようです!

夫婦仲はとても良いようで、3人の娘がそれぞれ3人の孫を産む…という幸せな状況です。

あまりに孫を可愛がりすぎて、娘さん一家から隔離されてしまうほど溺愛してるようですね!!

泉谷しげるの家族構成

娘さん夫婦は2013年3月にオープンした東京都大田区馬込にあるラーメン店、「横浜家系ラーメン いずみ家」のオーナーをなさっているという情報があります。

店の看板やメニューのデザインは泉谷しげるさんなのだとか。

しかし、泉谷しげるさんご自身は経営にはまったくタッチしておらず、また店舗も泉谷しげるさんのことは一切うかがわせず、 純粋にラーメンの味で勝負しているとのことです。

食べログの評価も高く、近所でも評判のお店のようですね。

レビューを見ても、殆どの人が泉谷しげるさんのことに言及せず、純粋にお店の雰囲気やラーメンの味を高く評価しています。

きっと知らない人も多いのかもしれませんね。

泉谷さんの3人の娘さんのお1人が、東京都大田区でラーメン店を営んでいるそうです。

看板屋メニューのデザインは泉谷しげるさんが担当されたそうですが…!

ほとんどのお客さんはこの店が泉谷しげるさんの娘さんのお店だとは知らないそうです。

それでも 食べログの評価は高く評判は上々

かなり美味しいラーメン屋さんのようです!

泉谷しげるの生い立ち

泉谷しげるさんの本名は「泉谷 茂」です。

生年月日は1948年5月11日。

育ったのは 東京都目黒区青葉台ですが、出身地は 青森県青森市長島出身の両親の元で生まれ、3歳から東京都目黒区東山で育ちました。

学歴は目黒区立烏森小学校卒業、目黒区立東山中学校卒業を経て、 東京都立目黒高等学校を 中退しました。

泉谷しげるさんがどこで生まれてどんなふうに芸能界を駆け上がったのか気になったので調べてみることにしました。

てっきり泉谷しげるさんは 青森県出身の方かと思いましたが…。

育ったのはほとんど東京だったんですね。

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高校を中退した泉谷しげるさん、何か悪いことをしたのかと思いきや、 とんでもない事件が起きていたのです!

東京都立目黒高等学校を中退してフォークシンガーに

青森県出身の泉谷しげるさんは、高校中退後、いろいろな職についたが長続きしませんでした。

当時1962年にデビューの英国バンド、 ローリングストーンズに憧れ、ロックバンドを組んでいたということです。

しかし、1966年、 18歳の時、自宅が火事で全焼

エレキギター、アンプなど機材を全て失いました。

そこで、やむなくアコースティックギター1本で出来る フォークシンガーになったのです。

泉谷しげるさんが高校を中退した理由はおそらくドロップアウトだと思います。

きっとこれから何をしようかと悩んでいた18歳の時、 自宅が火事で全焼してしまうのです。

おときせっかく買ったエレキギター家アンプなどを失ってしまった泉谷しげるさん。

おのせいでフォークシンガーになったなんてとっても 意外でした。

1971年 ( 23歳時) ライヴアルバム『泉谷しげる登場』でエレックレコードからデビュー。

吉田拓郎退社後の看板スターとして、エレックレコードを支える存在となります。

泉谷しげるさんの俳優として最初の出演作は1979年 向田邦子さん脚本『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』の誘拐犯役でしたが、抜擢の理由として、向田邦子さんが泉谷しげるさんを気に入ったことと、また 実際の犯人も足を引きずるように歩くことからだったそうです。

同ドラマで泉谷しげるさんは テレビ大賞及び芸術祭優秀賞を受賞

しかしなぜ泉谷しげるさんは足が悪くなったのでしょうか。

家が全焼し心が沈んでいたはずの泉谷しげるさんでしたが、 音楽が彼を支えてくれたのか…。

何と23歳の時、大人気スターだった吉田拓郎の後釜としてエレックレコードでデビューすることになります。

人気は継続し、1979年には人気作家向田邦子さんの脚本で初の俳優デビューを果たします。

足が悪かった泉谷しげるさんの歩き方が、ちょうど犯人の姿と重なったことが抜擢の理由だったんだそう。

泉谷しげるさんは たったひとつの大きなチャンスをものにするのです。

子供の頃ポリオウイルスに感染した後遺症

ポリオウイルスに対する予防接種は1961年(昭和36年)以降行われるようになったものの、それ以前は 予防接種がなかったため、1948年(昭和23年)生まれの泉谷しげるさんはポリオウイルスに感染、 小児麻痺となり、その後遺症として足が不自由になってしまったそうです。

なお、ポリオ(急性灰白髄炎)とは「小児麻痺」とも呼ばれ四肢に麻痺を起こします。

この予防接種が開発される以前の世代に幼少期に羅患した泉谷しげるさんは、その後足を引きずるようになったということですね。

泉谷しげるさんの足が悪くなった理由は泉谷しげるさんが子供の時、ポリオウイルスに感染し、当時はまだ予防接種がなかったため、小児麻痺となり、その後遺症で足が不自由になってしまったのです。

現在では 予防接種があること=当たり前の時代になりましたが、こういうものを揃えてくれた 先代に感謝しなければなりませんね!

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