坂井宏行の子供は息子?妻や家族構成まとめ。麻原彰晃に似てる?

今回はフランス料理人の坂井宏行(さかい ひろゆき)についてみていきましょう。

 

坂井宏行の家族構成【妻・子供】

フランス料理人の坂井宏行さんといえば、 ムッシュの愛称で親しまれており、フランス料理に日本の懐石手法を取り入れたことで有名です。

東京都港区南青山 「ラ・ロシェル」のオーナーシェフであり、 株式会社サカイ食品の代表取締役社長も務めています。

フジテレビの料理対決番組『 料理の鉄人』に、「フレンチの鉄人」として出演していることでも有名ですね。

私生活では、 結婚していてお子さんが2人いらっしゃいます。

 

坂井宏行の子供は息子

坂井宏行さんと奥さんとの間には、 娘と息子がいらっしゃいます

娘さんについては情報がありませんでしたが、 息子さんは坂井宏行さん同様料理人をしているようです。

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息子はカジュアルフレンチを経営

坂井宏行さんの息子は、「 ビストロ イル・ド・レ(BistroILEDERE)」という カジュアルフレンチを経営しています。

渋谷ヒカリエから歩くこと5分程の場所に、 鉄人坂井シェフのお店があると聞いて行ってきました。

ビストロ イル・ド・レ(BistroILEDERE)」。

料理の鉄人坂井宏行さんのカジュアルビストロ

渋谷ですが、 繁華街とは逆側なので、少し閑散としてますが、さておき食事はクラシックなスタイルのフランス郷土料理が頂けます。

開放的なお店イルドレ!料理長がたまたまいてご挨拶、超元気で 超笑顔な料理長

最初はシャンパンで乾杯!

白も赤もボトルで入れましたがどれがいいのかわからず、スタッフにお任せ。

すごく飲みやすくておいしい!常に気を配ってくれるしグラス交換も早すぎず遅すぎずちょうどよい。

食べていっぱい呑んで合計で2万円くらい。

お値段以上の満足度で、絶対また来ます!

父である 坂井宏行さんがプロデュースして、 息子さんがオーナーを務めているようですね。

お手頃価格で本格ビストロが楽しめるということで、大人気のお店のようです。

 

坂井宏行と妻は仲良し?

坂井宏行さんは 1968年、26歳のときに奥さんと出会っています

渋谷の洋食店レンカで料理長の助手として原卓。

ここに勤めようと決めたのには理由があった。

面接でオーナーは、料理をひととおり教えたら、君がシェフの代理だ、あとは君の工夫でやっていいと言われたからだ。

ここが 僕のシェフとしての第一歩になったことでも思い出深い店なのだが、もうひとつ忘れられない事がある。

この店で、 生涯の伴侶となる女性、妻光子と出会ったのだ

光子夫人とはお店の同僚だったのですね!

結婚してから40年以上がたった 現在も、夫婦仲は良好のようです。

 

妻への恩返しに客船で世界一周

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坂井宏行さんは現在 料理教室も開催していたりと、様々なオファーが舞い込んでくるようです。

プロデュースしている会社も7、8件ありますし、講演会や講習会もあって、月10日ほどしか東京にはいません。

お店という基盤をしっかり守りながら、オファーはできる範囲で引き受け、これからも頑張っていきたいと思っています。

そんな多忙な中でも、 奥さんへの恩返しをしたいと考えているようです。

現場は僕がいなくても回るので、これからは社会貢献を考えながら、次世代の活躍の場を広げていきたいと思っています。

今はグランメゾンを経営するのは大変な時代ですから、ビストロを仕掛けたいですね。

そして妻への恩返し、 客船で世界一周して妻孝行です。

海が好きで、沖縄移住を真剣に考えたことがあるくらい、沖縄は大好き。

できれば 沖縄と東京を半々で過ごす生活をしたいですね

忙しい中ひたむきに支えてくれた 奥さんへの恩返し、早く実現できるといいですね!

 

坂井宏行が麻原彰晃と似てると話題

坂井宏行さんは以前から、 オウム真理教教祖の麻原彰晃に似ているといわれていました。

死刑囚と似ているといわれても、うれしくは無いですよね・・・

たしかに ヒゲや目の雰囲気が似ているかもしれません

 

坂井宏行が料理の道へ進んだきっかけは?

坂井宏行さんは 幼いころに父親を戦争で亡くし母親は女手ひとつで子供3人を育ててくれたそうです。

坂井宏行さんは 8歳から台所に立ち、料理を作って家族を喜ばせていたようです。

中学時代には 家族の料理をよく作っていました

その当時は、 船のコックさんが一番の憧れでした。

近くの米ノ津港には客と貨物を両方乗せた船が入ってきていたのですが、かっこいいコックコート姿のコックさんを港で見たのがきっかけで、 自分も船に乗りたいなあと憧れていました。

鹿児島県出水市立出水中学校、県立出水高校に進学したのちに 高校を中退し、料理人になる決意を固めたそうです。

一家の大黒柱として、家計を助けたいという思いも強かったのでしょうね。

その後は ホテル新大阪で経験を積み、 オーストラリア南西部の街パースにある「ホテル・オリエンタル」で働きました。

このとき坂井宏行さんはまだ18歳でしたが、料理人になる決意は固く、 2年の修業を積んだそうです。

1963年12月にオーストラリアから帰国した当時の 東京は、 オリンピック目前で高度成長期に湧いていました。

ちょうどその頃、銀座の有名レストラン「コックドール」が銀座・数寄屋橋近くに新しくフランス料理店「 四季」を開店させるためにオープニングスタッフを募集していたので、憧れの伝説のシェフの元で働けるぞ!と応募しました。

後に 日本最初の本格フランス料理店と呼ばれる「 四季」で働いたことが、現在も生きているといいます。

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