今回は前バレーボール全日本女子チーム監督の柳本晶一(やなぎもと しょういち)さんについてみていきましょう。
柳本晶一の子供は娘がいるの?
元バレーボール選手で、元全日本女子代表監督の柳本晶一さん。
吉原知子をキャプテンとして全日本に復帰させ、大山加奈、栗原恵ら若手選手を積極的に起用するなど大胆な策を見せた。
同年11月開催のワールドカップでは、強豪のキューバから金星を挙げ5位となる快進撃を演じ、翌2004年5月開催のアテネオリンピック世界最終予選では開幕6連勝を果たして、2大会振りの出場権を獲得した。
同年8月開催のアテネオリンピックは5位の成績を残した。
めぐかなコンビなどを一躍有名にさせた方と言っても過言ではないですよね。
そんな柳本晶一さんは結婚していて、娘さんがいるとの情報がありました。
しかし、結婚していることは間違い無さそうですが、娘さんがいるとの確証は得られませんでした。
もしお子さんがいらっしゃるとしたら、バレーボールをしていそうですよね。
柳本晶一の現役時代!過去の経歴や成績について見てみよう!
柳本晶一さんは子どもの頃からスポーツ好きで、小学生の頃はいつも草野球をして遊んでいたそうです。
中学になったら野球部に入るつもりだったのですが、進学先の中学校には野球部がなかった。
それで、友だちに誘われてしかたなくバレーボール部に入りました。
当時は体育館ではなくて、運動場のオープンコートでしたから、レシーブで転ぶたびに痛くてね。
しかも、誘ってくれた友だちはさっさとレギュラーポジションに上がっていって、僕は補欠で毎日基礎練習ばかり。
キツいし、上手くならないし、バレーボールなんて早くやめてしまいたいと心底思っていました。
意外にも野球少年だった柳本晶一さん。最初はバレーボールのことを好きになれなかったそうです。
東京オリンピック(1964年)が開かれたのがちょうどその頃、中学1年の時です。
バレーボール全日本女子チームが金メダルをとりました。
“東洋の魔女〟の活躍に日本中が熱狂するのを見て、体中の血が沸き立つように興奮したのを今でもよく覚えています。
親にも内緒で、嫌々やっていたバレーボールなのに、日本が金メダルをとったスポーツを自分もやっているんだと思うと急に誇らしくなって、いつかあの舞台に自分も立ってみたいと強く意識するようになりました。
そこからはバレーボール一筋。気がついたら10年後、夢だった日の丸のユニホームを自分が着ていたんです。
それから大阪商業大学付属高校卒業後、新日本製鐵(現・堺ブレイザーズ)で主力選手として活躍します。
1973年、全日本代表に初招集されるが、猫田勝敏の控えに甘んじることとなる。
1974年アジア大会で優勝、同年世界選手権で銅メダル獲得、1976年モントリオールオリンピックに出場し、4位入賞するなど活躍を見せた。
1980年から監督兼任となり、1982年日本リーグ(現プレミアリーグ)優勝。
1985年からタイ男子代表監督を1年間務める。
1986年地域リーグ・日新製鋼の選手兼任監督となり創部5年でチームを日本リーグに昇格させた。
1991年現役引退し監督専任となった。
”監督”としての柳本晶一さんは有名ですが、”選手”としての経歴は知らない人のほうが多いかもしれませんね。
柳本晶一は現在監督として活動中!
柳本晶一さんはアテネオリンピック終了後、監督辞任を表明していましたが、協会に懇願されて続投します。
2006年10月から11月にかけて日本で開催された世界選手権では6位、2007年ワールドカップは7位に終わったが、2008年5月開催の北京オリンピック世界最終予選において、開幕6連勝を果たし、2大会連続の出場権を獲得。
同年8月開催の北京オリンピックにおいて、前回大会と同じく5位の成績となった。
在任期間が6期となったことから、2008年12月1日、日本バレーボール協会が5日付で全日本女子代表監督を退任させることを発表した。
後任は後輩の眞鍋政義。
現在でも、印象に残る女子日本代表の監督といえば、柳本晶一さんと答える人が多いのではないでしょうか。
代表監督になった時、僕は「オリンピックで金メダルをとる」と公言しました。
目標を高く設定すると、仮に銅メダルでもそこで終わらない。
負けた悔しさを味わうことによって、なにが足らなかったのか、次なる目標に向かってまた前へ歩き出せる。
もし目標を低く設定したら、そこで満足してしまって、それ以上の実力を出せずに終わってしまうのです。
女子日本代表監督退任後は、バレーボール中継の解説者を務めています。
2010年に朝原宣治さんらとアスリートネットワークを結成。
2013年2月、大阪市立桜宮高等学校のスポーツ指導刷新のために「桜宮高校学校改革担当」に就任した。
2016年、男子プロバスケットボールBリーグに参加する西宮ストークスの顧問に就任。
現在もスポーツ界にたずさわり、スポーツ界の躍進につとめているようです!